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言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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吉田拓郎さんの「夏休み」・・・発売から半世紀以上過ぎても鼻歌で歌ってしまう名曲

今日は、令和4年(2022年)7月31日 日曜日

一昨日の午前5時52分頃
西宮市の阪急今津駅のホームで
ポケットラジオでNHK第一放送を
聴いていると

吉田拓郎さんの「夏休み」が放送され

♪~麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙は もう消えた
それでも待ってる 夏休み~♪



この曲については、
これまでは
聴いたことがあるなあという
ぐらいであったが、

一昨日、NHKラジオで聴いてみると

この曲は、良い曲だなあと思い

吉田拓郎さんの「夏休み」は
一昨日、脳内で何回も繰り返され
ヘビーローテーション状態となり、
仕事でデータを入力している時も


♪~それでも待ってる 夏休み~♪

の部分のメロディが思わず鼻歌で
出てしまうぐらいであった。


吉田拓郎さんの「夏休み」は
私が生まれる2年前の
昭和46年(1971年)に発売された
アルバム「よしだたくろう オン・ステージ」に
収録されていて、また、
平成元年(1989年)には、シングルとしても
発売された。

この曲の作詞・作曲は
吉田拓郎さんである。

歌詞

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙は もう消えた
それでも待ってる 夏休み

姉さん先生 もういない
きれいな先生 もういない
それでも待ってる 夏休み

絵日記つけてた 夏休み
花火を買ってた 夏休み
指おり待ってた 夏休み

畑のとんぼは どこ行った
あの時逃がして あげたのに
ひとりで待ってた 夏休み

西瓜を食べてた 夏休み
水まきしたっけ 夏休み
ひまわり 夕立 せみの声


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

吉田拓郎さんは、この曲は
彼自身の子供の頃の夏の懐かしい
夏の風景を描いた絵日記としている。

そして、

♪~姉さん先生 もういない
きれいな先生 もういない
それでも待ってる 夏休み~♪


この姉さん先生は
宮崎静子さんという実在した
人物である。

吉田拓郎さんは
小学校2年生まで
当時の鹿児島県谷山町の
谷山小学校(現在の鹿児島市立谷山小学校)に
通っていて、その小学校の
宮崎静子先生に
当時の吉田拓郎さんは気をかけてもらっていたようで、

当時、身体が弱く学校を休みがちな彼にとって、
通学して、宮崎静子先生に会えるので
嬉しくて仕方なかったという。

また、
「休む事が多かったけれど勉強は良く頑張りましたね」
と宮崎先生から通知表に誉め言葉を書かれたことは
忘れられないという。

吉田拓郎さんはこの「夏休み」は
宮崎先生が作らせた歌で
姉さん先生が書かせた「絵日記」だと
コメントしていたようだ。

そして、谷山小学校の近くにある
JRの指宿枕崎線の谷山駅では、
令和元年(2019年)8月から9月末まで
吉田拓郎さんの「夏休み」が構内で
8時から20時の毎正時に駅の構内放送で流された。

それが好評だったことを受けて
令和元年(2019年)10月27日から
谷山駅では
「夏休み」を発車メロディとして使用が開始された。

到着メロディは10秒程度で、
このアレンジと演奏を担当したのが
かつて、宮崎静子先生が勤務して吉田拓郎さんが
通っていた谷山小学校の音楽教諭の濱崎栞さん。

濱崎栞さんはピアノや琴やオルゴールなどの
5つのパターンのアレンジ曲を用意して、
吉田拓郎さんとJRが話し合った結果、
オルゴール調のメロディが採用された。

ところで、この「夏休み」の歌詞、

♪~それでも待ってる 夏休み~♪

♪~ひとりで待ってた 夏休み~♪


と夏休みを待っている気持ちを表現
しているが、最後は

♪~ひまわり 夕立 せみの声~♪

夏の光景を浮かばせ、
吉田拓郎さん自身が
夏の風景を描いた絵日記であるという
終わり方をしているようにも思える。

そして、この曲について
吉田拓郎さんは
自分で作った歌であることを
誇りに思っているという。

発売から半世紀以上過ぎても
名曲だと思わせる「夏休み」という
曲を作った吉田拓郎さんは
今年・令和4年で
全ての音楽活動から引退することを表明
している。


YOUTUBE 動画

夏休み 吉田拓郎
https://www.youtube.com/watch?v=s8v1ChzkgS4


【吉田拓郎 】ライブ音源「夏休み」
https://www.youtube.com/watch?v=Q-Ft7q4xdEw



このブログ内の関連記事

吉田拓郎さんの作詞・作曲の「風になりたい」について
風になりたい(川村ゆうこ)・・・♪~覚えているのは煙草の香りと私を離した時のすきま風~♪


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テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


♪~ずっと探してた 愛を探してた~♪ 平成10年(1998年)4月30日 福山雅治のHeartが発売される・・・・発売当時、神戸三宮のサンキタ通りを歩いている時、この曲を耳にした記憶が強く残っている。

今日は、令和4年(2022年)4月30日 土曜日

今から24年前の今日の
平成10年(1998年)4月30日
福山雅治のHeartが発売された。

この曲のサビの

♪~ずっと探してた 愛を探してた
 そして今 心に 約束の言葉を刻もう ~♪


が特に良くて、気に入っている。

福山雅治は、平成8年(1996年)から
活動休止をしていたが、本格的な音楽活動再開として
このHeartが発売された。

福山雅治のHeartを紹介している
HMVのページを見てみると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福山雅治 Heart HMV

しばらくの間、オフをとっていた福山クン久しぶりのシングルは、
自らが主演するドラマ『めぐり逢い』の主題歌とイメージ・ソング。
アコースティック・ギターの心地いい音色に乗せた彼の歌声は、
何かからふっきれたかのように生き生きとしている。(部)
(CDジャーナル データベースより)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と紹介されていて、

特に「何かからふっきれたかのように」と
書かれているが、それをうかがわせることが

平成22年(2010年)に発売された
さくら 真 (著)
「福山雅治という生き方 」に次のような主旨
書かれている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「 Heart 」は、活動休止に対するアンサーソングだともいわれている
見失っていた自分を見つけた。
活動中止した理由から活動再開にまでいたるまでの心情

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、以上の内容が
Googleのブックビューからうかがえたが、

活動休止に対するアンサーソングゆえに
「何かからふっきれたかのように」
思えるものになったのかもしれない。

「見失っていた自分を見つけた」と書かれているが、
そこから

♪~ずっと探してた 愛を探してた
 そして今 心に 約束の言葉を刻もう ~♪


また、この曲は発売当時の私の状況での
記憶に残る曲にもなっている。

私は平成8年(1996年)3月に
大学を卒業したが、卒業後の進路に
迷いながら悩みながら
違う大学の大学院の進学を目指すもうまくいかず
卒業から2年経っていて、
不安定なアルバイトの生活をしていて、
ちょうど、平成10年(1998年)4月から5月にかけて
神戸の三宮でちょっとしたバイトで、
三宮に頻繁にでかけることがあった。

その時、阪急三宮駅の北側にある
サンキタ通りを歩いていると

♪~ずっと探してた 愛を探してた
 そして今 心に 約束の言葉を刻もう ~♪


と、福山雅治のHeartが耳にはいってきた。

その時の状況と光景が記憶にはっきりと残っている。

その約2か月後の6月には
14年間勤務することとなる
小さなシンクタンクに就職することができる。

今から振り返ると
「ずっと探してた」落ち着きの所属先が
決まったという感じである。

そして、それから24年の現在、
神戸三宮で仕事をしているが、
24年前に福山雅治のHeartを耳にして
三宮を歩いていたことをより強く
思い出すのである。

福山雅治 - Heart (Full ver.)
https://www.youtube.com/watch?v=Ediqrjkt4RQ





このブログ内の関連記事

平成19年(2007年)2月8日の記事(サンキタにちなみ)
「パイ山広場」は「パイ山広場」のままでいいのだ! ~ 阪急三宮北広場の新名称決定を受けて

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♪~明るいナショナル 明るいナショナル~♪・・・一度聞いたら忘れない、何度も聴きたくなる中毒性のある最高級傑作のCMソングである

今日は、令和4年(2022年) 1月7日 金曜日


YouTubeで、15秒の懐かしいCMソングを見つけた。

明るいナショナル hqdefault

明るいナショナル (1980)
https://www.youtube.com/watch?v=LA1-W-HdnGE


♪~
明るいナショナル
明るいナショナル
みんな 家中(うちじゅう)
なんでもナショナル~♪


と、現在は社名がパナソニック株式会社になっている
旧松下電器産業株式会社の
今は無きナショナルブランドのCMソングである。

昭和48年(1973年)生まれの私は
小学生の時から耳に残っているこのCMソングであるが、
この「明るいナショナル」のCMソングが
登場したのが昭和30年(1955年)である。

「電化製品で動く明るい我が家」をイメージして
三木鶏郎(みき とりろう)が作詞・作曲した曲である。

特に、松下電器創業者である松下幸之助の
「世の為人の為、老若男女問わない番組を。」という方針のもと
松下グループの単独スポンサー番組であった
TBSの「ナショナル劇場」のオープニングソングとして
使われきて、この「明るいナショナル」の曲が流れたあとに
例えば時代劇「水戸黄門」が始まるという
記憶がある方も多いと思う。
平成20年(2008年)に、社名が「パナソニック」になり
ナショナルブランドがなくなるまで、半世紀以上にわたり
松下電器そのものの象徴として長年愛され
親しまれたCMソングである。

また、「ナショナル劇場」のオープニングでの
太陽をイメージした光のシンボルの映像は
強く印象に残るものであった。

この動画の「ナショナル劇場」のオープニングは
2代目のBGMで、昭和55年(1980年)のものである。

♪~
明るいナショナル
明るいナショナル~♪


という、キャッチーな歌詞で、
かつ、テンポも良いこの曲は
一度聞いたら、耳に残ってしまい
私も小学生の時、鼻歌で歌ってしまう
ことがあったが、

このYouTubeの動画のコメント欄に

明るいナショナル 中毒性 


中毒性が凄い曲だなw

明るいナショナル いつまでも耳から離れない曲 


いつまでも耳から離れない曲だ・・w


と、書かれいたが、まさにその通りで
この記事のブログを書いている間
この15秒の曲を何度も繰り返し聴きながら
書いている。

さて、この「ナショナル劇場」のオープニングの場合は
曲が途中カットされているバージョンであるが、
フルバージョンの歌詞は

♪~
明るいナショナル
明るいナショナル
みんな 家中
電気で 動く
明るいナショナル
明るいナショナル
ラジオ テレビ
なんでもナショナル~♪


である。

この「明るいナショナル」は
昭和30年(1955年)という
日本の高度経済成長が始まる時から
経済大国になり、
その日本を代表する企業のひとつとしての「松下電器産業」を
象徴するだけでなく
戦後昭和の日本経済が元気で輝いていた頃を
象徴する名CMソングであると思う。

さて、この名CMソングを作詞作曲した
三木鶏郎(みき とりろう)=本名:繁田 裕司(しげた ひろし)は、
この「明るいナショナル」以外にも数々のCMソングを作詞作曲しており、

グリコ・アーモンド・チョコレート、

他には

♪~くしゃみ3回ルル3錠~♪
の三共の「ルル」

♪~牛乳せっけん良いせっけん~♪
でおなじみの「牛乳石鹸」

また、
♪~キリン、レモン、キリン、レモン♪
でおなじみのキリンレモンのCMソング、この曲は
現在でも上白石萌歌さんが歌ってCMに登場しているほど
である。

そして、三木鶏郎はCMソング以外にも
アニメの主題歌の作詞作曲を手掛けており

♪~トムとジェリー なかよくけんかしな
トム トム トム ニャーゴ 
ジェリー ジェリー ジェリー チュウ~♪


でおなじみの「トムとジェリー」の主題歌も
三木鶏郎の作詞作曲である。

このように多くの方々に耳の残る曲を作ってきた
三木鶏郎の作詞作曲の曲の中でも

私個人としては、

♪~

明るいナショナル

明るいナショナル~♪


の「明るいナショナル」は

最高級の傑作CMソングだと思う。

明るいナショナルのフルバージョンや
インストゥルメンタルのバージョンの
レコードがあり
このページで聴けます。

明るいナショナル レコード

明るいナショナル(三木鶏郎作詞)
https://www.youtube.com/watch?v=0IQDUbiiTv0




○このブログ内の関連記事

CMソング関連として

人間みな兄弟~夜がくる・・・小林亜星さんが作ったサントリーオールドのCMソングの名曲

テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


インディ・ジョーンズのテーマ曲、世代超え受け継がれる冒険ソング・・・正月、西宮市内で、60代女性とお孫さんの幼い姉妹とこの曲を一緒に歌って歩いていた

今日は、令和4年(2022年) 1月 6日 木曜日

先日の正月の2日、
西宮市内の上甲子園を散歩していたら、
60代のぐらいの女性が
おそらくお孫さんと思われる
5~6歳ぐらいの女の子と
3~4歳ぐらいの女の子と思われる
姉妹と一緒に
会話をしながら歩いていて

何か会話の中で「冒険」と言うと

♪~テン・テン・テー
 テン・テン・テー
 テン・テン・テーテ 
 テテ・テン・テン・テ~♪


と、映画「インディ・ジョーンズ」のテーマ曲を
その60代ぐらいの女性が口ずさむと
お孫さんの幼い姉妹も元気よく
一緒に歌い出して、歩き続けていた。

映画「インディ・ジョーンズ」は
映画界の巨匠
ジョージ・ルーカス氏とスティーブン・スピルバーグ氏が
初タッグを組み1981年に制作された
ハリソン・フォード氏が主演する映画であるが、
このテーマ曲を作曲したジョン・ウィリアムス氏は
インディ・ジョーンズ以外に

スター・ウォーズ
スーパーマン
E.T.
シンドラーのリスト

等の数々の世界的大ヒット映画のテーマ曲を作曲している。

さて、この映画「インディ・ジョーンズ」のテーマ曲が
アップされているYouTubeのコメント欄を見ると

インディ・ジョーンズ テーマ曲について

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

インディを仮に知らなくてもこれ聞いたら冒険ソングだと
感じるとおもうわ。すごい作曲家だよ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というコメントがあるが、
「冒険」という言葉をきっかけに
60代の女性が
「インディ・ジョーンズ」のテーマ曲を歌い出して、
それを近年生まれたであろうお孫さんの姉妹も一緒に
歌っていたのを見て、
この曲が世に出てから40年以上経つが、
世代を超えて、冒険ソングとして受け継がれる
名曲になるのだろうなあと思う。


インディー・ジョーンズのテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=mL-rpbdyHKE

(上記コメントの画像はこのページより)


○このブログ内の関連記事

映画「インディ・ジョーンズ」制作に関わったジョージ・ルーカス氏に
影響を与えた神話についての理論に関する記事

ジョセフ・キャンベルの神話理論とある映画大作 ~ 神話のミーム

[続きを読む]

テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


♪~安奈 クリスマスキャンドルの灯はゆれているかい~♪、甲斐バンドの名曲「安奈」のレコーディングにある大物ミュージシャンがギターで参加していた!!

今日は、令和3年(2021年)12月9日 木曜日

昨日の午前8時30分過ぎ、
ポケットラジオで、NHKのらじるラボを聴いていると、
番組冒頭の「毎日リクエスト」というコーナーで、
甲斐バンドの「安奈」がリクエストされていた。
この番組のツイート
らじるラボ 毎日リクエスト 甲斐バンド「安奈」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【#毎日リクエスト】 は「坂本洋子」さんから。

きょうは父の17回忌。ラジオからの情報と音楽が一番の
楽しみだった父の大好きだった曲のリクエスト。

甲斐バンド「安奈」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日(12月8日)は、甲斐バンドの「安奈」がお気に入りだった
お父様の17回忌という女性からのリクエストであった。
享年72歳とのこと。
お父様は、小児マヒの影響で、お身体に不自由さがあり
そのためお仕事は、家で裁縫の仕事をなさっていたようだが、
このお父様のお気に入りの曲は演歌が好きなのだが、
なぜか、演歌ではないこの、甲斐バンド「安奈」がかなり
お気に入りだったようで、聴いていたというのだ。

私は、ポケットラジオのイヤホンから聴こえる

~♪安奈 クリスマスキャンドルの灯は

  ゆれているかい
  
安奈 おまえの愛の灯は

      まだもえているかい~♪


と、サビのところを久々に聴いて、
改めて名曲だなあと思った。
私が、甲斐バンドの「安奈」を初めて知ったのは
昭和60年代の私が中学生のころに同級生の方が、
甲斐バンドの「安奈」を言っていて、その曲の存在を知り
そのころ、時々耳にしていたラジオで、
甲斐バンドの「安奈」を聴いて、
ああ良い曲だなあと思った。

安奈が発売されたのは、
昭和54年(1979年)10月5日(金曜日)である。
作詞作曲は甲斐よしひろである。

たまたま立ち寄った函館のバーで、「安奈」の曲のアイディアが浮かび、
1番の歌詞を思いつきコースターの裏に書き留め、
2番の歌詞は渋谷のバーで思いついたのこと。

この曲がレコーディングされたのは、同年の8月であった。
甲斐さんは、譜面をかかず、スタジオで頭の中で
浮かんだ歌詞とメロディを甲斐バンドのメンバーに伝える。

バンドのメンバーが意見を出してアレンジしていく。
録音は2回でO.Kとなったが、

安奈 甲斐バンド 浜田省吾 はまだ
この録音にメンバー以外にたまたま居合わせていた
浜田省吾さんがフォークギター担当で参加していた。

録音の時のマルチテープで、浜田省吾さんのギターの部分だけ再生して
聴くと、甲斐さんは
安奈 甲斐バンド 浜田省吾 ハマダ 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これ浜省だね。うまいね。

歌える人が弾くと、歌ってるんだよね。

ギターも。素晴らしい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、浜田省吾さんのギターの技術を絶賛。

歌える人が弾くギターは歌っているという主旨の発言は
一流のミュージシャンどうしで通じるものがあるのだなと思った。

ふと、ポケットラジオから聴こえるNHKの番組で、
亡き父の17回忌を思って、この名曲がリクエストされたことを
きっかけに、久々に「安奈」を聴いたことをきっかけに
この名曲のレコーディングに素晴らしいできごとがあったことを
知ることができた。


安奈 / 甲斐バンド(レコーディング版)
https://www.youtube.com/watch?v=ldCti56RP5w


安奈作曲過程について、浜田省吾さんの参加について語られている
「安奈」 甲斐バンド 浜田省吾
https://www.youtube.com/watch?v=Tu0S4k9vqHU


武道館のライブバージョン
安奈 甲斐バンド 1980 武道館
https://www.youtube.com/watch?v=r9URH8Quj2s


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