「おじいさんのランプ」(新美南吉 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・古い商売がいらなくなれば、すっぱりその商売は棄てて、世の中のためになる新しい商売にかわろうじゃないか・・・変化とともに生きることの大切さを訴える普遍性のある児童文学
今日は、令和3年(2021年)12月7日 火曜日
昨日の午前1時過ぎ、 コインランドリーに行き、ポケットラジオで 耳で聞く短編小説「NHKラジオ文芸館」を耳にしながら 洗濯と乾燥が終わるのを待った。
昨日の放送の概略をNHKラジオ文芸館のページを見ると
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「おじいさんのランプ」2021年12月6日 作:新美南吉 (2020年10月12日放送のアンコール)
蔵の中で、少年がみつけたおじいさん(巳之助)の古ぼけたランプ。 そのランプには少年の知らないおじいさんの歴史が詰まっていたのだった。 貧しかった巳之助の少年時代。初めてランプを知った巳之助は、 明るさに感激する。そのうちランプ屋となり生計をたてるようになって…。
テキスト:新美南吉「おじいさんのランプ」(偕成社文庫「おじいさんのランプ」所収)
語り:村上由利子
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という概略説明だが、詳細は、次も通り
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子供である東一が友達とかくれんぼをしているときに、土蔵の中でランプを見つける。 東一は蔵からランプを持ち出し、友達と見入っていたところ、 おじいさんから「子供は何を持出すやらわけのわからん! 外に行けば、電信柱でも何でも、遊ぶものはいくらでもあるだろう!」と叱られ、外に出る。 やがて日が暮れた。東一が家の中で、昼間見つけたランプをこっそりと いじっていたところ、おじいさんがやってきて 「東坊、このランプはな、おじいさんにはとてもなつかしいものだ。 長いあいだ忘れておったが、 きょう東坊が倉の隅から持出して来たので、また昔のことを思い出したよ。 こうおじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとても嬉うれしいもんだ」 東一君はぽかんとしておじいさんの顔を見ていた。 おじいさんはがみがみと叱りつけたから、怒おこっていたのかと思ったら、 昔のランプに逢あうことができて喜んでいたのである。 「ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来て坐すわれ」 とおじいさんがいった。
自身の一代記を語りはじめる。
50年ほど前のちょうど日露戦争のの終わり頃、 岩滑新田(やなべしんでん。現・愛知県半田市)の村に 巳之助という13歳の少年がいた。 彼は両親も親戚もない孤児であった。 そんな彼は子守でも米搗きでも何でも村の雑用をこなし、 何とか村に置いてもらっていた。 けれども巳之助は、こうして村の人々の 御世話で生きてゆくことは嫌に思っていた。 子守をしたり、米を搗いたりして一生を送るとするなら、 男とうまれた甲斐かいがないと、いつも思っていて。 身を立てるのによいきっかけがあればと思っていたのだ。
ある日、人力車牽きの手伝いを頼まれて、生まれて初めて村を出て 大野(現・愛知県常滑市)の町に行った巳之助は、 その町でいろいろな物をはじめて見た。 巳之助をいちばん驚かしたのは、その大きな商店が、一つ一つともしている、 花のように明かるいガラスのランプであった。 巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かったからだ。
宵闇の中、ランプの灯った街並みはまるで竜宮城のようで、 巳之助は今までなんども、「文明開化で世の中がひらけた」ということをきいていたが、 今はじめて文明開化ということがわかったような気がした。
人力車牽きの駄賃の十五銭を手にした巳之助は、 歩いているうちに、様々なランプをたくさん吊つるしてある店のに来た。 これはランプを売っている店にちがいない。 巳之助はしばらくその店の前で十五銭を握りしめながらためらっていたが、 やがて決心してつかつかとはいっていった。 「ああいうものを売っとくれや」 と巳之助はランプを指さしていった。 まだランプという言葉を知らなかったのである。 店の人は、巳之助が指さした大きい吊つりランプをはずして来たが、 それは十五銭では買えなかった。
「負けとくれや」と巳之助はいった。
「そうは負からん」と店の人は答えた。
「卸値で売っとくれや」
巳之助は村の雑貨屋へ、作った草鞋わらじを買ってもらいによく行ったので、 物には卸値と小売値があって、卸値は安いということを知っていた。 たとえば、村の雑貨屋は、巳之助の作った瓢箪型の草鞋を 卸値の一銭五厘で買いとって、人力曳たちに小売値の 二銭五厘で売っていたのである。
ランプ屋の主人は、見も知らぬどこかの小僧がそんなことをいったので、 びっくりしてまじまじと巳之助の顔を見た。そしていった。
「卸値で売れって、そりゃ相手がランプを売る家なら卸値で売って あげてもいいが、一人一人のお客に卸値で売るわけにはいかんな」
「ランプ屋なら卸値で売ってくれるだのイ?」 「ああ」 「そんなら、おれ、ランプ屋だ。卸値で売ってくれ」 店の人はランプを持ったまま笑い出した。 「おめえがランプ屋? はッはッはッはッ」
「ほんとうだよ、おッつあん。おれ、ほんとうにこれからランプ屋になるんだ。 な、だから頼むに、今日きょうは一つだけンど卸値で売ってくれや。 こんど来るときゃ、たくさん、いっぺんに買うで」巳之助が言うと、 店の人ははじめ笑っていたが、巳之助の真剣なようすに動かされて、 いろいろ巳之助の身の上をきいたうえ、 「よし、そんなら卸値でこいつを売ってやろう。ほんとは卸値でもこのランプは 十五銭じゃ売れないけど、おめえの熱心なのに感心した。負けてやろう。 そのかわりしっかりしょうばいをやれよ。 うちのランプをどんどん持ってって売ってくれ」 といって、ランプを巳之助に渡した。
巳之助の胸の中にも、もう一つのランプがともっていた。 文明開化に遅れた自分の暗い村に、このすばらしい文明の利器を売りこんで、 村人たちの生活を明かるくしてやろうという希望のランプが。
百姓たちは何でも新しいものを信用しないから、巳之助の村で ランプはすぐに流行らなかった。
巳之助はあることを思い、村で一軒きりの商店へ、そのランプを持っていって、 「ただで貸してあげるからしばらくこれを使って下さい」と頼んだ。 雑貨屋の婆ばあさんは、しぶしぶ承知して、店の天井に釘くぎを打ってランプを吊し、 その晩からともした。 そして、五日後、雑貨屋に行くと、雑貨屋の婆さんはにこにこしながら、 「こりゃたいへん便利で明かるうて、夜でもお客がよう来てくれるし、 釣銭をまちがえることもないので、気に入ったから買いましょう」と言った。 さらに、ランプの良さを知った村人から、もう三つも注文のあったことを伝えられ、 巳之助は大野へいった。そしてランプ屋の主人にわけを話して、 足りないところは貸してもらい、三つのランプを買って来て、注文した人に売った。 そこから徐々に手を広げ、巳之助はランプ売りとして生計を立てるようになった。
また、村の今まで暗かった家に、だんだん巳之助の売ったランプがともってゆくのである。 暗い家に、巳之助は文明開化の明かるい火を一つ一つともしてゆくような気がした。
ある日、売り文句で「畳の上に新聞をおいて読める」と言いながら宣伝をして ランプを売っていた。それは、村の区長さんが 「ランプの下なら畳の上に新聞をおいて読むことが出来る」と言っていたからで 試しに自分もランプを使って新聞を見ると 新聞のこまかい字がランプの光で一つ一つはっきり見えた。
ただ、巳之助は字を読むことができなかったからである。 「ランプで物はよく見えるようになったが、字が読めないじゃ、まだほんとうの文明開化じゃねえ」 と思い巳之助は、それから毎晩区長さんのところへ字を教えてもらい行き続け、 熱心だったので一年もすると、尋常科を卒業した村人の誰にも負けないくらい読めるようになった。 そして巳之助は書物を読むことをおぼえた。
巳之助はランプ屋として成功した彼は家を建て、妻を得て、やがて子どもも生まれ、 幸せの絶頂だった。 ところが、巳之助が仕入れのために大野の町に行ったところ、 町には新たに「電気」というものが引かれていた。 「ランプの、てごわい敵(かたき)が出て来たわ」と思った。以前には文明開化ということを よく言っていた巳之助だったけれど、電燈がランプよりいちだん進んだ文明開化の 利器であるということは分らなかった。利口な人でも、自分が職を失うかどうか というようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ。
いつしか村にも電気を引くという話が持ち上がる。 巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。強敵いよいよござんなれ、と思った。 そこで巳之助は黙ってはいられなかった。村の人々の間に、電燈反対の意見をまくしたてた。 「電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、 その線をば夜中に狐きつねや狸たぬきがつたって来て、この近辺の 田畠を荒らすことはうけあいだね」 こういうばかばかしいことを巳之助は、自分の馴なれた商売を守るために 言うのであった。それをいうとき何かうしろめたい気がしたけれども。
電灯が灯されれば、用なしのランプが駆逐されてしまう。ランプに生活をかける 巳之助は電気の導入に頑強に反対したが、結局のところ村への電気導入が決まってしまう。
巳之助は、頭がどうかなってしまって逆恨みして、電気導入の寄り合いで議長を務めた 区長さんに強い恨みを抱く。 普段は、は頭のよい人でも、商売を失うかどうかというような瀬戸際では、 正しい判断を失うのであった
そしての区長さん家に火を放とうとする。しかし、放火しようにも、手元にマッチがなかった。 代わりに持ってきた火打石ではなかなか火が起こせず、 「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「古くさい物は、いざというとき役に立たねえ」と悪態をつく。
そういってしまって巳之助は、ふと自分の言葉をききとがめた。 「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」 ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。 巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。 ――ランプはもはや古い道具になったのである。電燈という新しいいっそう 便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。 文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、 日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。 古い自分の商売が失われるからとて、世の中の進むのに邪魔しようとしたり、 何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、 男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、 古い商売がいらなくなれば、男らしく、すっぱりその商売は棄てて、 世の中のためになる新しい商売にかわろうじゃないか。――
巳之助は家に引き返すと、家にあるすべての売り物のランプに灯油を注ぎ、 商売用の車に下げて持ち出す。そして50個ほどあった全てのランプを 半田池という池の縁の木にぶら下げて火を灯すと、
「わしの、商売のやめ方はこれだ」と
泣きながら石を投げつけ、 その何個かを割り、ランプに別れを告げるのだった。 そして巳之助はランプ屋を廃業し、町に出て本屋をはじめた。
以上のように巳之助じいさんは孫の東一に話をした。 東一が蔵で見つけたのは唯一残った置きランプだった。
「巳之助さんは今でもまだ本屋をしている。もっとも今じゃだいぶ年とったので、 息子が店はやっているがね」 とその本屋は東一のお父さんが後を継いでいた。
巳之助じいさんは孫の東一にこう諭して結ぶ。 「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしの商売のやめ方は、自分でいうのもなんだが、 なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、
日本がすすんで、自分の古い商売がお役に立たなくなったら、 すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古い商売にかじりついていたり、 自分の商売が流行っていた昔の方が良かったといったり、 世の中の進んだことをうらんだり、そんな意気地いくじのねえことは 決してしないということだ」 東一君は黙って、ながい間おじいさんの、 小さいけれど意気のあらわれた顔をながめていた。やがて、いった。
「おじいさんはえらかったんだねえ」 そしてなつかしむように、かたわらの古いランプを見た。
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以上が、「おじいさんのランプ」の物語であるが。 この物語の主たるポイントは
古い商売がいらなくなれば、男らしく、
すっぱりその商売は棄てて、
世の中のためになる新しい商売に
かわろうじゃないか
ということだろう。
「変化とともに生きる」という表現や 「日々に新たなり」という古代中国、殷の伝説的名君湯王(とうおう)の 言葉を思い出すが、 自分の人生の成功をもたらしてくれた 商売を、時代の変化に合わせて、 それをきっぱり辞めるというのは 勇気のいる決断であるが、 ただ、そうしないと時代の変化に取り残されて ジリ貧になってしまう。
そのようなことを児童文学作家の新見南吉が 子供向けの作品の童話で伝えていることである。
この作品が発表されたのは昭和17年(1942年)と 日本が第2次世界大戦でアメリカ、イギリス、中国と戦争を していたころであり、かつ、 新美南吉自身は病気で、死を覚悟していたころでもあった。
実際、新美南吉はその翌年の昭和18年3月22日に 29歳の若さでなくなった。
若くして亡くなった新美南吉が童話として書き上げた 「おじいさんのランプ」は、変化を受け入れて生きていくことの 重要さを、老若男女問わず、どの国でもどの時代でも 普遍的意義のある文学作品だと思う。
おじいさんのランプの音声朗読 『おじいさんのランプ』新美南吉 - 引き際の美学。明治の日本男子の生き様を括目せよ!オーディオブック 【朗読】【字幕】 https://www.youtube.com/watch?v=0NluBLv-hB4
青空文庫の 新美南吉 おじいさんのランプの全文 https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html
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