fc2ブログ
言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

プロフィール

くわどん

Author:くわどん
世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
また、過去の各記事にアクセスしやすく
するため当ブログの目次専用ブログを
随時更新中です。

https://kuwatea.blog.fc2.com/blog-entry-1.html



最近の記事

2015年11月2日まで、10年間毎日更新してきましたが、その後は、週1回プラスアルファのペースで更新していきます。



カテゴリー



語源由来辞典からの引用

当ブログにおいて、語源のコメントを する時は、語源由来辞典から引用しています。

語源由来辞典へはここをクリック!!



リンク

このブログをリンクに追加する



フリーエリア



お買い物しませんか?



最近のトラックバック



最近のコメント



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



広告ですたい!



フリーエリア



「夢十夜」(夏目漱石 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・第一夜は100年後の逢瀬の物語、第六夜からノーベル賞受賞研究のヒントを得た科学者がいた!

今日は、令和3年(2021年)12月13 日 月曜日


本日の午前1時過ぎ、先週の月曜日の午前1時台と同じく
今週もコインランドリーに行き、ポケットラジオで
耳で聞く短編小説「NHKラジオ文芸館」を耳にしながら
洗濯と乾燥が終わるのを待った。

今週の小説は

本日の放送の概略をNHKラジオ文芸館のページを見ると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「夢十夜」2021年12月13日
作:夏目漱石
「こんな夢を見た」という書き出しで知られる「夢十夜」から、
5つの短編を朗読する。「百年待っていて下さい」と言って死んだ女
を待つ第一夜、そして、夢の中で母から聞いたという話が語られて
いく第九夜、さらに、第四夜、第五夜、第六夜を朗読。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夢十夜は、明治41年(1908年)に発表された
夏目漱石の小説である。

現在(明治)、神代、鎌倉、100年後と、
第一夜から第十夜まで、10の不思議な夢の世界に
ついての物語を綴る短編小説で、
これは明治41年7月25日から8月5日まで
「東京朝日新聞」で連載された小説である。
また、この夢十夜は
平成28年(2016年)3月9日から平成28年3月22日、
に朝日新聞で再掲載された。

本日のラジオ文芸館では、
夢十夜のうち第一夜、第四夜、第五夜、
第六夜、第九夜が朗読された。

そのうち、当ブログの記事では、
第一夜と第六夜について書く。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

第一夜

こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が静かな声で「もう死にます」と云う。
初めは女の顔色から死にそうでないと思ったが、
再度、女が静かな声で「もう死にます」と言うので、確かに死ぬなと感じた。

女はこう言った。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。
そうして天から落ちて来る星の破片(かけ)を墓標に置いて下さい。
そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢あいに来ますから」
 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。
それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。
――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、
――あなた、待っていられますか」

自分は黙って首肯(うなず)いた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
 自分はただ待っていると答えた。
やがて、女の眼がぱちりと閉じて、長い睫(まつげ)の間から
涙が頬へ垂れた姿で、女は亡くなった。

自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘り、その穴の中に女を入れて、
そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。
それから星の破片(かけ)の落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。

女の墓の横で待ち始めた自分は、赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見るが、
それでも百年がまだ来ず、
そのうちに女に騙されたのではないかと自分は疑い始める。

すると石の下から斜(はす)に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。
見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、
すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、
ふっくらと弁(はなびら)を開いた。

真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。
そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。

自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁(はなびら)に接吻した。
自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

以上が、夢十夜の第一夜のお話である。

亡くなった女は100年後に、百合の花になって
女の墓で待つ自分に会いに来たということであるが、
この物語の結末から思いつくのは
神話にありそうな話だなあと思ったりした。

白い百合の花言葉には
「純潔」というものがあるが、ギリシア神話の女神ヘラに由来している。

全知全能の神ゼウスの妻(また、ゼウスの姉でもある)女神ヘラがいるが、
その女神ヘラは結婚や母性、貞節を司る最高位の女神でもあり、
浮気者の夫・ゼウスの浮気に物申していた。

さて、浮気者のゼウスが人間アルクメーネの美貌に惚れて浮気をして、
その時、ヘラクレスが生まれた。
ゼウスは息子ヘラクレスを不死身にするため、
妻である女神ヘラの乳を与えようと思ったが、ヘラは嫉妬深い。
すると、ゼウスは女神ヘラが寝ている間に、
ヘラクレスにヘラの乳を飲ませていたが、
それに女神ヘラが気付いて、驚き怒って、
手で払い除け、ヘラクレスを引き離し、
この時、ヘラクレスの口から
こぼれた母乳が飛び散り、
天に飛んだものが天の川になり、
地上にこぼれたのが地に染み込んだ所は
白いユリの花になったという。

そのようなユリにまつわる神話がギリシア神話にある。

さて、ユリをどうして「百合」という漢字表記をする
ようになったのか。

ユリの葉や鱗茎(りんけい)が 多数重なり合うようすから
中国でこの花のことを 「百合 (ひゃくごう) 」 と漢字表記される
ようになったようだ。

さて、夢十夜の第一夜では、主人公は
亡くなった女の墓で、100年待って、
女の生まれ変わりの百合の花に、再度、逢うことなったが、

100年と百合の「百」から、
この漱石は、この物語を発想したのだろうか?
とふと思った。

百合(ユリ)は、ギリシア神話といいう西洋の神話と
百合という東洋の文字が合わさることを
印象付ける物語だなあと思った。


さて、夢十夜の第六夜のお話に移ろう。
これは、明治時代に書かれた作品ということを
頭に入れて読んでもらえればと思う。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
第六夜

運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、
散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
山門を見ると古風で鎌倉時代のように見えるが
みんな自分と同じく、明治の人間であった。
そこに集まっている見物人人たちは
「人間をこしらえるよりもよっぽど骨が折れるだろう」となど
様々な下馬評をしているが、
運慶は見物人の評判には委細頓着(とんじゃく)なく
鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている。いっこう振り向きもしない。
自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。
どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。

一生懸命に彫っている運慶を見て、ある若い男が
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我われと
あるのみと云う態度だ。天晴あっぱれだ」と云って賞め出した。
 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、
若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と言った。

運慶の刀(とう)の入れ方がいかにも無遠慮であった。
そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。

「よくああ無造作に鑿(のみ)を使って、
思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と
自分はあんまり感心したから独言のように言った。

するとさっきの若い男が、 

「なに、あれは眉や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。
あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、
鑿と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。
まるで土の中から石を掘り出すようなものだから
けっして間違うはずはない」

と云った。

自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い、
そうなら誰にでもできると考えた。

それで急に自分も仁王が彫ほってみたくなり、
自宅に帰り、道具箱から鑿と金槌を出し、
先日の暴風で倒れた樫の木で、薪に使うために積んでいた中から
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫ほり始めて見たが、
不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く
掘り当てる事ができなかった。
三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端ぱしから
彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。
ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。
それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


以上が、夢十夜の第六夜のお話である。

仁王を彫っている運慶について
一緒にみていた若い男から
「木の中に埋まっている仁王を掘り出している」と言われ、
それなら自分でも掘り出せるだろうと思い、
自宅に戻り、木を彫り始めるが、何度やっても仁王は出てこず
運慶が明治の現在に生きている理由がわかり、
木の中にある仁王を彫り出すのは
運慶でなければできないということが
伝わる物語であった。

この夢十夜の第六夜での

「なに、あれは眉や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。
あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、
鑿と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。
まるで土の中から石を掘り出すようなものだから
けっして間違うはずはない」

という表現が、ある日本人ノーベル賞受賞者の
授賞対象研究に重大な示唆を与えたのであった。

その日本人ノーベル賞受賞者とは
化学反応における電子の軌道に関する
「フロンティア軌道理論」が評価され
昭和56年(1981年)に
ノーベル化学賞を受賞した福井謙一である。

科学者である福井謙一は化学反応に関する理論を構築するに
あたっても、
夢十夜の第六夜のような
最初から木の中に埋まっている仁王を掘り出すかのような
自然らしさが必要と考えたという。


私は、夏目漱石の夢十夜の第六夜が
福井謙一のノーベル賞受賞研究に重大な示唆を与えた
というエピソードを知っていたので、ラジオ文芸館で
「夢十夜の第六夜」が朗読されると知り、
楽しみにして、深夜のコインランドリーで
ポケットラジオのイヤホンから
聴こえる夢十夜の第六夜を聴いて楽しんだ。

それにしても、小説などの文学的な素養というのが
科学者に発想の豊かさをもたらし
自然科学の発展に寄与し得るのだ。

文学的素養が自然科学の研究の
発想の源になった事例として
他には、
日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹がある。
湯川秀樹は
李白の漢詩から「素領域」という素粒子物理学に示唆を
与えるコンセプトを閃いたりしている。


青空文庫
夢十夜 夏目漱石

 こちらをクリックすれば、夢十夜の第一夜から第十夜まで読書可能です


○このブログ内の関連記事

ノーベル化学賞受賞者と夏目漱石の小説・・・・ノーベル化学賞を受賞した福井謙一は夏目漱石の「夢十夜」の第六夜の運慶が仁王を彫り出す描写をヒントにノーベル賞受賞の理論を構築した

天才、湯川秀樹!・・・李白の漢詩から素粒子物理学の「素領域」という概念をひらめいた日本人初のノーベル賞学者のすごさ


○ラジオ文芸館に関すること

「おじいさんのランプ」(新美南吉 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・古い商売がいらなくなれば、すっぱりその商売は棄てて、世の中のためになる新しい商売にかわろうじゃないか・・・変化とともに生きることの大切さを訴える普遍性のある児童文学

「埋め合わせ」(森浩美 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・父の圧力で不本意ながら医者になった主人公へある老人が差し出すペットボトルのお茶に、心の隙間を埋めわせを感じた理由は・・・「ナナメの関係」の大切さ


原田マハ 作の「無用の人」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で私の人生と重ね合わせながら聴いて・・・無用の人扱いされた他界した父が娘に贈った最後の誕生日プレゼントとは

原田マハ 作の「長良川」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・亡き夫との思い出が詰まった長良川を娘と娘の婚約者との旅で回想しながら、長良川の風景がいっさいがにじんで美しく見えていた。

ロバのサイン会・・・消費され消え行くものに過ぎないものが育む絆・・・耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いて・・・

「トオリヌケ キンシ」(加納朋子 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・何気ない日常のふるまいが誰かを大きく助けていることがあれば嬉しいですね

「本番、スタート」(ドリアン助川 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・日の目を見ず、下っ端であろうが、その人の人生の主人公はその人本人なのである


スポンサーサイト



テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術


「おじいさんのランプ」(新美南吉 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・古い商売がいらなくなれば、すっぱりその商売は棄てて、世の中のためになる新しい商売にかわろうじゃないか・・・変化とともに生きることの大切さを訴える普遍性のある児童文学

今日は、令和3年(2021年)12月7日 火曜日

昨日の午前1時過ぎ、
コインランドリーに行き、ポケットラジオで
耳で聞く短編小説「NHKラジオ文芸館」を耳にしながら
洗濯と乾燥が終わるのを待った。

昨日の放送の概略をNHKラジオ文芸館のページを見ると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「おじいさんのランプ」2021年12月6日
作:新美南吉
(2020年10月12日放送のアンコール)

蔵の中で、少年がみつけたおじいさん(巳之助)の古ぼけたランプ。
そのランプには少年の知らないおじいさんの歴史が詰まっていたのだった。
貧しかった巳之助の少年時代。初めてランプを知った巳之助は、
明るさに感激する。そのうちランプ屋となり生計をたてるようになって…。

テキスト:新美南吉「おじいさんのランプ」(偕成社文庫「おじいさんのランプ」所収)

語り:村上由利子

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という概略説明だが、詳細は、次も通り

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

子供である東一が友達とかくれんぼをしているときに、土蔵の中でランプを見つける。
東一は蔵からランプを持ち出し、友達と見入っていたところ、
おじいさんから「子供は何を持出すやらわけのわからん!
外に行けば、電信柱でも何でも、遊ぶものはいくらでもあるだろう!」と叱られ、外に出る。
やがて日が暮れた。東一が家の中で、昼間見つけたランプをこっそりと
いじっていたところ、おじいさんがやってきて
「東坊、このランプはな、おじいさんにはとてもなつかしいものだ。
長いあいだ忘れておったが、
きょう東坊が倉の隅から持出して来たので、また昔のことを思い出したよ。
こうおじいさんみたいに年をとると、ランプでも何でも昔のものに出合うのがとても嬉うれしいもんだ」
 東一君はぽかんとしておじいさんの顔を見ていた。
おじいさんはがみがみと叱りつけたから、怒おこっていたのかと思ったら、
昔のランプに逢あうことができて喜んでいたのである。
「ひとつ昔の話をしてやるから、ここへ来て坐すわれ」
とおじいさんがいった。

自身の一代記を語りはじめる。

50年ほど前のちょうど日露戦争のの終わり頃、
岩滑新田(やなべしんでん。現・愛知県半田市)の村に
巳之助という13歳の少年がいた。
彼は両親も親戚もない孤児であった。
そんな彼は子守でも米搗きでも何でも村の雑用をこなし、
何とか村に置いてもらっていた。
けれども巳之助は、こうして村の人々の
御世話で生きてゆくことは嫌に思っていた。
子守をしたり、米を搗いたりして一生を送るとするなら、
男とうまれた甲斐かいがないと、いつも思っていて。
身を立てるのによいきっかけがあればと思っていたのだ。

ある日、人力車牽きの手伝いを頼まれて、生まれて初めて村を出て
大野(現・愛知県常滑市)の町に行った巳之助は、
その町でいろいろな物をはじめて見た。
巳之助をいちばん驚かしたのは、その大きな商店が、一つ一つともしている、
花のように明かるいガラスのランプであった。
巳之助の村では夜はあかりなしの家が多かったからだ。

宵闇の中、ランプの灯った街並みはまるで竜宮城のようで、
巳之助は今までなんども、「文明開化で世の中がひらけた」ということをきいていたが、
今はじめて文明開化ということがわかったような気がした。

人力車牽きの駄賃の十五銭を手にした巳之助は、
歩いているうちに、様々なランプをたくさん吊つるしてある店のに来た。
これはランプを売っている店にちがいない。
 巳之助はしばらくその店の前で十五銭を握りしめながらためらっていたが、
やがて決心してつかつかとはいっていった。
「ああいうものを売っとくれや」
と巳之助はランプを指さしていった。 
まだランプという言葉を知らなかったのである。
 店の人は、巳之助が指さした大きい吊つりランプをはずして来たが、
それは十五銭では買えなかった。

「負けとくれや」と巳之助はいった。

「そうは負からん」と店の人は答えた。

「卸値で売っとくれや」

 巳之助は村の雑貨屋へ、作った草鞋わらじを買ってもらいによく行ったので、
物には卸値と小売値があって、卸値は安いということを知っていた。
たとえば、村の雑貨屋は、巳之助の作った瓢箪型の草鞋を
卸値の一銭五厘で買いとって、人力曳たちに小売値の
二銭五厘で売っていたのである。

 ランプ屋の主人は、見も知らぬどこかの小僧がそんなことをいったので、
びっくりしてまじまじと巳之助の顔を見た。そしていった。

「卸値で売れって、そりゃ相手がランプを売る家なら卸値で売って
あげてもいいが、一人一人のお客に卸値で売るわけにはいかんな」

「ランプ屋なら卸値で売ってくれるだのイ?」
「ああ」
「そんなら、おれ、ランプ屋だ。卸値で売ってくれ」
 店の人はランプを持ったまま笑い出した。
「おめえがランプ屋? はッはッはッはッ」

「ほんとうだよ、おッつあん。おれ、ほんとうにこれからランプ屋になるんだ。
な、だから頼むに、今日きょうは一つだけンど卸値で売ってくれや。
こんど来るときゃ、たくさん、いっぺんに買うで」巳之助が言うと、
 店の人ははじめ笑っていたが、巳之助の真剣なようすに動かされて、
いろいろ巳之助の身の上をきいたうえ、
「よし、そんなら卸値でこいつを売ってやろう。ほんとは卸値でもこのランプは
十五銭じゃ売れないけど、おめえの熱心なのに感心した。負けてやろう。
そのかわりしっかりしょうばいをやれよ。
うちのランプをどんどん持ってって売ってくれ」
といって、ランプを巳之助に渡した。

巳之助の胸の中にも、もう一つのランプがともっていた。
文明開化に遅れた自分の暗い村に、このすばらしい文明の利器を売りこんで、
村人たちの生活を明かるくしてやろうという希望のランプが。

百姓たちは何でも新しいものを信用しないから、巳之助の村で
ランプはすぐに流行らなかった。

巳之助はあることを思い、村で一軒きりの商店へ、そのランプを持っていって、
「ただで貸してあげるからしばらくこれを使って下さい」と頼んだ。
 雑貨屋の婆ばあさんは、しぶしぶ承知して、店の天井に釘くぎを打ってランプを吊し、
その晩からともした。
そして、五日後、雑貨屋に行くと、雑貨屋の婆さんはにこにこしながら、
「こりゃたいへん便利で明かるうて、夜でもお客がよう来てくれるし、
釣銭をまちがえることもないので、気に入ったから買いましょう」と言った。
さらに、ランプの良さを知った村人から、もう三つも注文のあったことを伝えられ、
巳之助は大野へいった。そしてランプ屋の主人にわけを話して、
足りないところは貸してもらい、三つのランプを買って来て、注文した人に売った。
そこから徐々に手を広げ、巳之助はランプ売りとして生計を立てるようになった。 

また、村の今まで暗かった家に、だんだん巳之助の売ったランプがともってゆくのである。
暗い家に、巳之助は文明開化の明かるい火を一つ一つともしてゆくような気がした。

ある日、売り文句で「畳の上に新聞をおいて読める」と言いながら宣伝をして
ランプを売っていた。それは、村の区長さんが
「ランプの下なら畳の上に新聞をおいて読むことが出来る」と言っていたからで
試しに自分もランプを使って新聞を見ると
新聞のこまかい字がランプの光で一つ一つはっきり見えた。

ただ、巳之助は字を読むことができなかったからである。
「ランプで物はよく見えるようになったが、字が読めないじゃ、まだほんとうの文明開化じゃねえ」
と思い巳之助は、それから毎晩区長さんのところへ字を教えてもらい行き続け、
熱心だったので一年もすると、尋常科を卒業した村人の誰にも負けないくらい読めるようになった。
そして巳之助は書物を読むことをおぼえた。

巳之助はランプ屋として成功した彼は家を建て、妻を得て、やがて子どもも生まれ、
幸せの絶頂だった。
ところが、巳之助が仕入れのために大野の町に行ったところ、
町には新たに「電気」というものが引かれていた。
「ランプの、てごわい敵(かたき)が出て来たわ」と思った。以前には文明開化ということを
よく言っていた巳之助だったけれど、電燈がランプよりいちだん進んだ文明開化の
利器であるということは分らなかった。利口な人でも、自分が職を失うかどうか
というようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ。

いつしか村にも電気を引くという話が持ち上がる。
巳之助は脳天に一撃をくらったような気がした。強敵いよいよござんなれ、と思った。
 そこで巳之助は黙ってはいられなかった。村の人々の間に、電燈反対の意見をまくしたてた。
「電気というものは、長い線で山の奥からひっぱって来るもんだでのイ、
その線をば夜中に狐きつねや狸たぬきがつたって来て、この近辺の
田畠を荒らすことはうけあいだね」
 こういうばかばかしいことを巳之助は、自分の馴なれた商売を守るために
言うのであった。それをいうとき何かうしろめたい気がしたけれども。

電灯が灯されれば、用なしのランプが駆逐されてしまう。ランプに生活をかける
巳之助は電気の導入に頑強に反対したが、結局のところ村への電気導入が決まってしまう。

巳之助は、頭がどうかなってしまって逆恨みして、電気導入の寄り合いで議長を務めた
区長さんに強い恨みを抱く。
普段は、は頭のよい人でも、商売を失うかどうかというような瀬戸際では、
正しい判断を失うのであった

そしての区長さん家に火を放とうとする。しかし、放火しようにも、手元にマッチがなかった。
代わりに持ってきた火打石ではなかなか火が起こせず、
「ちえッ」と巳之助は舌打ちしていった。「古くさい物は、いざというとき役に立たねえ」と悪態をつく。 

そういってしまって巳之助は、ふと自分の言葉をききとがめた。
「古くせえもなア、いざというとき間にあわねえ、……古くせえもなア間にあわねえ……」
 
ちょうど月が出て空が明かるくなるように、巳之助の頭がこの言葉をきっかけにして明かるく晴れて来た。
 
巳之助は、今になって、自分のまちがっていたことがはっきりとわかった。
――ランプはもはや古い道具になったのである。電燈という新しいいっそう
便利な道具の世の中になったのである。それだけ世の中がひらけたのである。
文明開化が進んだのである。巳之助もまた日本のお国の人間なら、
日本がこれだけ進んだことを喜んでいいはずなのだ。
古い自分の商売が失われるからとて、世の中の進むのに邪魔しようとしたり、
何の怨みもない人を怨んで火をつけようとしたのは、
男として何という見苦しいざまであったことか。世の中が進んで、
古い商売がいらなくなれば、男らしく、すっぱりその商売は棄てて、
世の中のためになる新しい商売にかわろうじゃないか。――



巳之助は家に引き返すと、家にあるすべての売り物のランプに灯油を注ぎ、
商売用の車に下げて持ち出す。そして50個ほどあった全てのランプを
半田池という池の縁の木にぶら下げて火を灯すと、

「わしの、商売のやめ方はこれだ」と

泣きながら石を投げつけ、
その何個かを割り、ランプに別れを告げるのだった。
そして巳之助はランプ屋を廃業し、町に出て本屋をはじめた。

以上のように巳之助じいさんは孫の東一に話をした。
東一が蔵で見つけたのは唯一残った置きランプだった。

「巳之助さんは今でもまだ本屋をしている。もっとも今じゃだいぶ年とったので、
息子が店はやっているがね」
とその本屋は東一のお父さんが後を継いでいた。

巳之助じいさんは孫の東一にこう諭して結ぶ。
「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしの商売のやめ方は、自分でいうのもなんだが、
なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、

日本がすすんで、自分の古い商売がお役に立たなくなったら、
すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古い商売にかじりついていたり、
自分の商売が流行っていた昔の方が良かったといったり、
世の中の進んだことをうらんだり、そんな意気地いくじのねえことは
決してしないということだ

 東一君は黙って、ながい間おじいさんの、
小さいけれど意気のあらわれた顔をながめていた。やがて、いった。

「おじいさんはえらかったんだねえ」
 
そしてなつかしむように、かたわらの古いランプを見た。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

以上が、「おじいさんのランプ」の物語であるが。
この物語の主たるポイントは

古い商売がいらなくなれば、男らしく、

すっぱりその商売は棄てて、

世の中のためになる新しい商売に

かわろうじゃないか


ということだろう。

「変化とともに生きる」という表現や
「日々に新たなり」という古代中国、殷の伝説的名君湯王(とうおう)の
言葉を思い出すが、
自分の人生の成功をもたらしてくれた
商売を、時代の変化に合わせて、
それをきっぱり辞めるというのは
勇気のいる決断であるが、
ただ、そうしないと時代の変化に取り残されて
ジリ貧になってしまう。

そのようなことを児童文学作家の新見南吉が
子供向けの作品の童話で伝えていることである。

この作品が発表されたのは昭和17年(1942年)と
日本が第2次世界大戦でアメリカ、イギリス、中国と戦争を
していたころであり、かつ、
新美南吉自身は病気で、死を覚悟していたころでもあった。

実際、新美南吉はその翌年の昭和18年3月22日に
29歳の若さでなくなった。

若くして亡くなった新美南吉が童話として書き上げた
「おじいさんのランプ」は、変化を受け入れて生きていくことの
重要さを、老若男女問わず、どの国でもどの時代でも
普遍的意義のある文学作品だと思う。


おじいさんのランプの音声朗読
『おじいさんのランプ』新美南吉 - 引き際の美学。明治の日本男子の生き様を括目せよ!オーディオブック
【朗読】【字幕】
https://www.youtube.com/watch?v=0NluBLv-hB4



青空文庫の
新美南吉 おじいさんのランプの全文
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/635_14853.html



○このブログ内の関連記事

○ラジオ文芸館に関すること

「埋め合わせ」(森浩美 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・父の圧力で不本意ながら医者になった主人公へある老人が差し出すペットボトルのお茶に、心の隙間を埋めわせを感じた理由は・・・「ナナメの関係」の大切さ


原田マハ 作の「無用の人」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で私の人生と重ね合わせながら聴いて・・・無用の人扱いされた他界した父が娘に贈った最後の誕生日プレゼントとは

原田マハ 作の「長良川」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・亡き夫との思い出が詰まった長良川を娘と娘の婚約者との旅で回想しながら、長良川の風景がいっさいがにじんで美しく見えていた。

ロバのサイン会・・・消費され消え行くものに過ぎないものが育む絆・・・耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いて・・・

「トオリヌケ キンシ」(加納朋子 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・何気ない日常のふるまいが誰かを大きく助けていることがあれば嬉しいですね

「本番、スタート」(ドリアン助川 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・日の目を見ず、下っ端であろうが、その人の人生の主人公はその人本人なのである

テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術


「埋め合わせ」(森浩美 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・父の圧力で不本意ながら医者になった主人公へある老人が差し出すペットボトルのお茶に、心の隙間を埋めわせを感じた理由は・・・「ナナメの関係」の大切さ

今日は、令和3年(2021年)11月23日  火曜日

先日の11月15日の午前1時台に
NHKラジオ第一で放送された

耳で聞く短編小説「ラジオ文芸館」は
心に残る内容だった。

概略はNHKの「ラジオ文芸館」のページに
以下のように紹介されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「埋め合わせ」2021年11月15日
作:森 浩美
親の敷いたレールに乗って不本意ながら医師になった矢島。ある日、先輩医師の代わりに山梨の病院で診療をすることに。 そこで清掃のボランティアをするお年寄りと出会い、ことばを交わす。その中で医師という仕事と自分の人生について考えさせられるのだった。

テキスト:森 浩美「埋め合わせ」(双葉文庫「家族ずっと」所収)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

物語の詳細は以下の通りである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主人公の矢島は医師であるが、不意本位ながら医師になった。
実家は、医者の家系、父は息子たちに医者にさせることは当然と思っていた。
兄は優秀で父の言うとおりに医者になるべく良い学業成績を出していたが、
矢島は優秀な兄と比較され、医者になりたくないと思った。

一番恨みにおもっているのは
「野球」を辞めさせられたことである。
骨折で指が使い物いならなくなったら外科はできない

父に「プロ野球選手になりたいなんて思ってないだろうな」と
聞かれて、本心はそうなりたかったが、父にはそうは思ってないと告げると

父から、「子供の野球チームでもレギュラーになれず補欠のお前に
プロは無理だな」と言われ、傷ついた。

「でもでも」を拒もうと口に出すと

「嫌なのか!それでは一人で生きていけ!お前の面倒は見ない」と
一喝され、地域の野球チームを脱退させられる。

矢島が中学生の時、兄は医学部に合格、
後継ぎができたのだから自分は好き勝手に進路を選べると思ったが、
父に「医者にならなくてどうする」と言われ、
自分の希望は通らないと思った。
高校は、父と兄の母校に行けず、大学も
偏差値の低い大学に一浪して入学。
そのことに父は不満を抱く。

自分は必要とされていないのか?
30代になっても、医者をやることの意義を見出せずにいて、
惰性で医者をしていた。

そのような中、大学時代の先輩に頼まれ
先輩医師の代わりに山梨の病院で診療をすることになった。

何処に行っても変わりはない。
せいぜい、ミスをしないようにするだけ。
不本意ながら医師になった人生に諦めの境地に
矢島はなっていた。

そして、山梨での当直の1日目は何事もなく終わり
ベンチで佇んていた。

すると、竹ぼうきと塵取りを持った70代ぐらいの
小柄で痩せた老人が近づいてきて、
矢島に腰を深く折り曲げて丁寧なお辞儀をして
矢島を前を通り過ぎ裏口に入った後、
ガシャンという自販機で何かを買う音が聞こえた。

裏口から再度出てきた
その老人の手には、お茶のペットボトルが握られていて、
そのペットボトルを矢島に

「先生、ご苦労様です」と差出してくる。
あまりにも予想外の行動だったので、
つい、手を出して、ペットボトルを受け取ってしまい、
返そうとするも、その老人は「どうぞ」と何度もうなずく。

その老人の振る舞いが気になり、
山梨の病院行きを頼んだ先輩に連絡すると、

その老人はトクダさんという。
先輩もトクダさんから飲み物をもらったことがあるという。

矢島は、トクダさんのような老人を病院が雇っているのかと思うと
実は、トクダさんは現在は雇われているのではないという。

以前は、トクダさんは清掃係として病院で勤務していたが、
退職後も、病院周りの掃除を報酬をもらわずにやっているという。


矢島は、なぜトクダさんがそのような行動をしているのか気になった。

1週間後、矢島が山梨の病院に行き、午前中の診療が終わり、
休憩で喫煙所に行くと、

トクダさんがやってきて、矢島を見るなり
「ご苦労様です」と矢島にペットボトルを差し出す。

150円だが、ペットボトルも何度ももらうわけにはいかないと
思って、何度もいただくことは良くないと思いお断りしようとするが、
トクダさんは
「ほんの気持ちです」という。

トクダさんが立ち去ろうとすると、
矢島は、お茶をくれる理由を知りたいこともあり、
トクダさんに一緒に休憩することを願い、
トクダさんは応じて、トクダさんと会話を深める。

トクダさんは、この病院で勤務する前は
郵便局で勤務していたが、郵便局を退職して
病院勤務を始める。
それはトクダさんが40歳のころの約35年前からとのこと。
ここ何年かは病院の外回りの掃除を勝手にやっている。

トクダさんは、考えることがあって、郵便局を辞め
病院での勤務に転職したという。

矢島は、トクダさんに、
どうして、自分にお茶をくれるのかについて質問をする。

すると、トクダさんは
「そのくらいしかできませんから」と言う。

続けて、トクダさんは

「私らは、特別なことは何もできない人間です。
そのようなものからすれば、病気を治してくれるお医者様は
神様のようです」
と言う。
トクダさんからそのいわれてうしろめたい気分になる矢島は

「病気を治すから医者なので、それは当たり前。それに私は大したことはできない。
トクダさんが思うような立派な医者でもなく、ましてや『神様』なんて。
実は、私は見事な落ちこぼれで」

すると、トクダさんは大きく頭をふりながら

「そんなことはないですよ。
私は無学だからよくわからんです。
でも、世の中には誰もがなれるわけではない職業がある。
お医者さんや弁護士さん、政治家さんもそうですかねえ」

矢島:医者なんかなるもんじゃないですよ。いろいろ面倒なしがらみもあるし。

トクダ:先生、たとえそうだだとしても、やっぱりお医者さんは大したもんですよ。
誰もがなれるわけではないですから。

矢島は、大きな声ではないが、力強いトクダさんの口調に圧倒される。


トクダ:誰もがなれるわけではないから、人一倍、いや10倍も、100倍も
他の人のために頑張ってもらいたいのです。そうじゃなくちゃ意味がない。

矢島は、トクダさんの「意味がない」という表現に何か心の痛点をつかれる予感がした。

トクダさんのひとり息子がいて、息子さんは小さい頃から「医者になりたい」と言っていて、
トクダさんの奥さんが体調が弱くて、臥せっていたので、息子さんは
「俺が医者になって、母ちゃんを元気にする」よく言っていた。

「ただ、残念ながらその願いはかないませんでしたけど」とトクダさんは言う。

矢島:僕みたいな気がすすまなかった者ではなく、息子さんのよな方が医者になれれば良かったのに。

トクダ:先生は、お医者さんになりたくなかったのですか?

矢島は、医者になりなくなかったのに、医者になった理由について
父との関係などについてトクダさんに語った。

矢島:僕は、親父にとっては保険のようなもので、兄貴のスペアのようなものですから。
万が一の時の穴埋め要員なのですよ。スペアにしては、ずいぶんカネをかけたもんだなと
友達にからかわれますけどね。

するとトクダさんは

「でも、先生。埋め合わせができるということは、同じだけの力量があるということでしょ。
やっぱり、先生は多くの人のなかから選ばれた人なんですよ。

矢島は「同じ力量」という表現を胸の中で何度も繰り返した。
ただ、兄とは能力に雲泥の差がある。そんなことは父は絶対に認めない、そう矢島は思う。

矢島がトクダさんに、トクダさんの息子が今はどうされているのかを聴いた。

トクダ:息子は死にました。

息子さんが中学生の時、雨の日に傘を差して自転車を運転すると、
トラックに衝突して亡くなったという。
息子さんは、ただ一生懸命、机に向かっていたという。

トクダ:親の欲目かもしれないが、息子は頭が良かった。
せめて自分の寿命の半分でも息子に分けてやることができたら良かったなあ。
なんて思うのですよ。
息子が死なずにいたとしても、医者になれたかどうかはわかりません。
でも、もし医者になってくれて、人様のために頑張ってくれたら
親としてどれだけうれしかったでしょうねえ。

トクダ:息子の夢はかないませんでしたが、息子が目指した世界に
近いところで働きたいと考えまして、こちらの病院で働くように
なりました。
ここで、先生たちが頑張っている姿を見ていたら
何かお役に立てることはないだろうかと思いまして。
でも、私が先生方のお仕事のお手伝いをできるわけでもないし、
じゃあ、休憩の時に、お茶を出させていただくのはどうだろう
と思いつきましてね。

そのような思いでトクダさんは、医師の矢島にお茶を渡していたのだ。

矢島はこう思った。
トクダさんには、私たちを通して、医師として働く息子の姿が見えているに違いない。
お茶の差し入れはその頑張りを褒めてやりたい、ねぎらってやりたいという
親心の現れなのだ。
ペットボトルのお茶。何の気どりもないだけに、余計に沁みてくるものがある。

そのように話しているうちに休憩時間も終わりに近づき、
残っていたペットボトルのお茶を飲み干そうとする。
手にしたペットボトルのお茶は秋風に晒されて、すっかり冷めてしまったのに
矢島の真ん中に落ちていくものはとても暖かく感じた。

矢島はこう思った。
きっと、これからもトクさんは私にペットボトルを差し出すだろう。
ならば、一本、いっぽんありがたくいただくことにしよう。
喉の渇きを潤すだけでなく、私の心の隙間までも埋めてくれそうな気がする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という物語である。

父親から人格を否定され育つ、父の圧力で医師になった矢島。
成績優秀な兄に比べて、劣等感を抱く。

そんな矢島も、医師にとうていなれないトクダさんからすれば
人の命を救う優秀な人物で、
医師になる夢を抱きつつ不慮の事故でなくなった息子の思いを
現実化させている人物。

家族に自分を否定されても、
家族以外で、また、職場の直接の上司や同僚以外で
その自分を肯定してくれる人物がいるといういわゆる
「ナナメの関係」の大切さを感じた。

YouTube
NHK「ラジオ文芸館」
「埋め合わせ」森 浩美 局アナウンサー語り(朗読)



森 浩美「埋め合わせ」(双葉文庫「家族ずっと」所収)



このブログでの関連記事

○ラジオ文芸館に関すること

「仮面パパ」(森浩美 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・偽りの「育メンパパ」に仕組まれたワナは

石田衣良 作の「十一月のつぼみ」を、深夜のコインランドリーで耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴き、花屋で働く心が乾いた人妻に潤いのもたらす客の青年との「関係」とも呼べないような淡いつながり・・・名曲「22才の別れ」を思い出す。

原田マハ 作の「無用の人」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で私の人生と重ね合わせながら聴いて・・・無用の人扱いされた他界した父が娘に贈った最後の誕生日プレゼントとは

原田マハ 作の「長良川」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・亡き夫との思い出が詰まった長良川を娘と娘の婚約者との旅で回想しながら、長良川の風景がいっさいがにじんで美しく見えていた。

ロバのサイン会・・・消費され消え行くものに過ぎないものが育む絆・・・耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いて・・・

「トオリヌケ キンシ」(加納朋子 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・何気ない日常のふるまいが誰かを大きく助けていることがあれば嬉しいですね

「本番、スタート」(ドリアン助川 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・日の目を見ず、下っ端であろうが、その人の人生の主人公はその人本人なのである


「蒼い岸辺にて」(朱川湊人(しゅかわ・みなと) 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・自殺を図った主人公が三途の川で見た自分の未来とは・・・死で逃げるのではなく、生きて逃げてひきこる、生き続ければ、小さな楽しみや喜びを見出せるから

「かがやく」(帚木蓬生 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・人間は自分が得意として輝いている時のことに関心を持ってもらえることに喜びを感じるのだ


「海の見える理髪店」(荻原浩 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・老男が店主の海の見える理髪店に結婚式を控えた青年が初めて通ったその理由とは! 「青年のつむじ」と「床屋のブランコ」・・・最後はしみじみと深く余韻が残る直木賞受賞作品ですね


「遠い野ばらの村」(安房直子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・小さな村の雑貨店店主のおばあさんは実在しない息子家族の空想話を楽しそうにいつもしていると、なんと本当に孫娘が表れた!!おばあさんは孫娘の正体を知っても孫に会える嬉しさは変わらなかった


「デートまでの道のり」(瀬尾まいこ 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・早くに母親を亡くした保育園児の男の子とその父親と担任の保母さん先生の3人のデートを成すことはできるのか


「水曜日の南階段はきれい」(朝井リョウ 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・英語が得意な高校3年生の女生徒が毎週水曜日に学校の南階段を掃除するその理由は・・・英語が得意な女子高生に特訓を受けるミュージシャン志望の男子受験生の物語

「沖縄戦下の幼女 みえちゃんからの伝言」(比嘉淳子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・夫婦不和で育つ子供の心にできた哀しみの魂の大穴は、戦争で怯えて亡くなった子供の哀しみと変わらない・・・己ばかりを優先せず、まわりと調和することの大切さ

「あなたに会いたい」(浅田次郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・出世のために若かりし時に捨てた恋人の幻影か・・カーナビからの「あなたに会いたい」の声で誘われた場所は・・・

「サヤンテラス」(乙川優三郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・私の愛するテラスでの亡き夫の声は幽霊か面影か



「車窓家族」(高田郁 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・車窓から見える老夫婦の何気ないほっこりした日常が見知らぬ人どうしの言葉を交わすきっかけをつくり

「曲芸と野球」(小川洋子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・曲芸師の女性と野球少年という異色の組み合わせの男女の淡くも末永い絆

「はるか」(北村薫 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・天真爛漫の無邪気な女子高生の明るさが潤いと彩りのある豊かな日常にもたらす

「超たぬき理論」(東野圭吾 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・えっ!UFOの正体はたぬきが化けた文福茶釜だってえええ??・・・こじつけと思い込みの想像力・・ちなみに、宇宙人って誰のこと

「イービーのかなわぬ望み」を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・垂直移動のエレベーターで生きてきたイービーの結末から「空間」についてちょっと思う

耳で聞く短編小説ラジオ文芸館 鈴木光司 作「大山」・・・バブルに翻弄された元夫からの復縁の申し出の旅路にて、元妻からの粋な計らいとは

人生という名の自転車は、自力で漕ぎ続けるのだ・・・「耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館」で「自転車を漕ぐとき」、41歳無職の男の物語を同じく41歳で再び無職に戻る私が聴いて

2か月に1度行く、上新庄のミスタードーナッツで、ラジオ文芸館のアンコール放送「尾瀬に死す」を耳にして、前回も同じ場所でそれを聴いていたので、デジャブさを感じた

透明人間とはそういうことだったのか!・・・耳で聞く短編小説ラジオ文芸館、島田雅彦の作「透明人間の夢」を聞いて、ホームレス寸前の彷徨う若い男女の恋の結末は!

人生、思わぬ偶然のできごとでどう変わるかわからない・・・角田光代の「誕生日休暇」を耳で聞く短編小説「ラジオ文芸館」で耳にして


テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術


石田衣良 作の「十一月のつぼみ」を、深夜のコインランドリーで耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴き、花屋で働く心が乾いた人妻に潤いのもたらす客の青年との「関係」とも呼べないような淡いつながり・・・名曲「22才の別れ」を思い出す。

今日は、令和2年(2020年)12月22日  火曜日

先週の
12月14日(月曜日)の午前1時台、
NHKラジオで
「耳で聞く短編小説 ラジオ文芸館」を
小型のポケットラジオで聴いた。

昨日の小説は、原田マハの作品の
「十一月のつぼみ」でラジオ文芸館のページから引用すると、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
作:石田衣良
(2019年11月25日放送のアンコール)

花屋でパート勤めをしている中庭英恵(はなえ)には、夫と保育園に通う息子がいる。
自宅で働く夫は忙しく、結婚記念日にプレゼントはおろか、祝いの言葉さえかけてくれない。
そんな中、店に突然やってきた男性客・芹沢は、「彼女」の誕生日に渡す花束を注文して以来、
毎週店を訪れるようになった。
芹沢のことが気になり始めた英恵は、ある日、芹沢と「彼女」との関係に終わりが
来ていたことを知らされる。そして、渡された花束に忍ばせてあったのは、
待ち合わせの時間と場所が記されたカードだった。

テキスト:石田衣良「十一月のつぼみ」(集英社文庫「1ポンドの悲しみ」より)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というあらすじだが、物語の詳細を以下に書く

・・・・・・・・・・・・・・・・

花屋にパートで勤めている中庭英恵
毎週一度、花束を注文する男が気になっていた。
芹沢という名の彼は27歳、生命保険会社に勤めていて、
彼と同じ年齢の「彼女」に贈る花束を注文するため毎週一度、土曜日に
英恵が勤める花屋にやってきていた。

その彼女とはうまくいっているという。

英恵はその芹沢と夫の直樹と比べてみて、
一緒に並んで歩くなら
英恵と身長が変わらない直樹より、英恵より身長の高い芹沢の方が
バランスが良い。芹沢と英恵が少しおしゃれをしてホテルなどの
ショッピングモールを歩く光景を想像する。

英恵は夫の直樹とは子供が生まれて以来、華やかな場所に行くことは無くなった。
夫はウェッブデザイナーとして独立して以来、休みがなく仕事に没頭している。

また、いつもように芹沢が英恵がいる花屋にやってきて、
花のアレンジを英恵に任せる。

英恵が花のアレンジをしている間、英恵と芹沢は2mぐらい離れた
小さな声が届くが手を伸ばしても届かない二人が安心して会話ができる
ちょうど良い距離を取る。英恵は自分が花をアレンジしている間
芹沢が自分をじっと見ていることに気付いていた。

芹沢に彼女との関係を聞くと、彼女とは大学時代からの付き合いで
「だらだら惰性で続いているようなもの」と言う。

英恵は、毎週、芹沢から花を贈られる彼女は幸せだと言う。
英恵は最後に花をもらったのはいつかは覚えていないぐらい
夫の直樹は、英恵の誕生日も結婚記念日も平気で忘れると芹沢に言う。

それを聞いた芹沢は「失礼しちゃいますね」というむっとした
言い方に英恵はおかしさを感じ、アレンジした花にリボンをかけながら
くすりっと笑った。すると、芹沢も笑っていた。

芹沢とは付き合っているわけでも、好き同士の意思を確認したわけではないが
1~2週間に1度の芹沢との会話に妙に心が弾むのであった。
英恵は芹沢も英恵と同様に感じていることをわかっていた。
相互にそう気づきつつ、この「関係」とも呼べないような淡いつながり
大切に思っていた。

アレンジできた花束を芹沢に渡すと、芹沢は
「とてもいいな英恵さんらしくて、清楚でキリリとして」と褒める。

英恵にとって自分の作った花束を褒められることは
自分を綺麗だと言われるより嬉しいことであった。

英恵は心が揺らぐが、英恵は心を花屋の店員に戻し
「実際のボリューム以上に、立派に見せようとしなければ、花はみんな綺麗ですよ」
と言った。

その後、花束を受け取った芹沢は花束を無造作に下げて、歩道を歩いていく。


芹沢が初めて来店したのはアイリスやアネモネが盛りの3月のある
土曜日の夕方だった。
芹沢はあわてて店内に入り、切迫した調子で英恵に声をかけ

「時間がないがすぐに花束はできますか?」と

英恵は「5分あればできる」と返答する。

その日、芹沢の彼女の誕生日だった。

毎週一度やって来ては「彼女」に贈る花束を注文する男に英恵は心が揺れる。
芹沢の眼は涼やかで、まっすぐに自分を見つめて、花のアレンジを英恵に任せる。
ほんの5分ほどの時間で花束はできあがる。

どのバラでも良いので、27本の花束を作って欲しいと
何か怒ったような感じで言った。

誕生日の花なら楽しい気分で買うが、彼のその怒ったような
いぶかしがった。

このバラで良いかと英恵は彼に確かめると
彼は初めて笑顔を浮かべ
「そのバラで良いです。うんときれいに作って下さい」

英恵にとって、そのようなことを言われるのは初めてだったので
一度、その彼(芹沢)を覚えてしまった。

彼はバラの花束を受け取るとコンビニのポリ袋を下げるように
気のない調子で花束を下げて出て行った。
これからデートに行くというより決闘に向かうような
硬い背中をしていた。

それから1週間後、彼が再びやってきて
チューリップの原種を買った時には英恵は驚いた。
とてもリピーターになるとは思えなかったからだ。

そして、その翌週、彼が3度目に来店した時に
彼の名が「芹沢」と知った。

さらに、その1か月後、芹沢がエプロンについた
「英恵」の名前を呼ぶようになった。


秋口のある日の土曜日の夕刻、
夫の直樹が徹夜で続けていた仕事のため
5歳の息子の保育園の迎えの時刻に気付かず
英恵が迎えに行くことになってしまったことがあった。

その翌週の金曜日は
英恵と直樹の7回目の結婚記念日だったが、
当然の如く、直樹からはプレゼントもお祝いの言葉も
なかった。
その週は平日の間に2度も徹夜をしていて
夫には、プレゼントを買う時間も余力もなかったと
英恵は思った。1年に1回のことなのに。

英恵は「このままでは生活に疲れて、自分はどんどん乾いてしまう」と
自分が花の植物に水を注ぐように、ほんのひと吹き霧吹きを
かけるように、
ほんのわずかな水分をくれる人はいないのかと
潤いを与えてるものを求める気持ちになる。

英恵は寝室のベットの上でそう思った時、
花屋に来る芹沢のことを思い出す。

芹沢の白くて冷たい霧のような目、
そのようなことを思い出すと英恵の心は落ち着いた。

その翌日の午後、英恵がバラの棘を抜いていると
芹沢が現れた。前の夜に、彼のことを考えたためか
まともに芹沢の顔を見れなかった。


芹沢が目にとめた淡いピンクの一重のバラを形を揃えて
選びカウンターに運ぶ。

その時は、店内には店員は英恵一人だけで
芹沢の視線を気兼ねなく浴びることができた。
そう思うと、英恵の鼻はバラの色と同じ色になった。

英恵は「昨日は結婚記念日だが、(夫に)綺麗に無視されちゃった。
失礼しちゃいますね。うちのひと」と芹沢に語りつつ
バラの花束を綺麗にアルミホイルで巻く。

「本当に失礼な人だな。」という芹沢の声は
冗談を言っているようには聞こえなかった。

そして芹沢は英恵に
「その花束は僕からのプレゼントにします。近くに配達すると言って
自宅に持って帰って下さい」

英恵は「彼女の方はいいのですか」と言うと

芹沢は「いいんです。最初にこの店に来た時のものが
最後に彼女に渡した花束です。あの日は、さよならをきちんと
言うためのデートだった」

続けて、芹沢は

「長すぎた春というのは歌の中だけでなく、本当にあるのですね」

芹沢の発言を聞き、英恵は

「あの27本のバラはそんなふうに使われたのか」
と思った。

芹沢は
「あの後のバラは、全部自分の部屋に飾った。
それ以外に、英恵さんと話す方法を思いつかなくて
毎週違った花を飾るのは良いものだった。
この7か月本当に楽しかった」

その芹沢の言葉を聞き、英恵は深呼吸でもしなければ
倒れそうな気持ちになった。自分の手が震えているのを
芹沢に気付かれないようにした。

芹沢は胸ポケットから万年筆を取り出し、
メッセージカードにメッセージを書き
英恵に贈る花束に添えるものと言い
返事はいらないので、自宅に戻ってから見て欲しいと言った。

英恵が束ね負った花束を見て
「一重咲きのバラは英恵さんみたいだ。飾りすぎていないで
心が休まる」と言う。

芹沢が店をあとにして、
カウンターに置かれた自分で作った花束が
どこか空から降ってきたようなものに思えた。

「一重咲きのバラに私が似ている」

そのようなことはもう一生言われることはない
と思っていた言葉であった。

英恵は自宅前の扉に立ち、花束に添えられた
メッセージカードを読んだ。

「明日は仕事もお休みですね。午後2時、井の頭公園のボート乗り場に近い方の
入り口で待っています。30分待って来てもらえなければ諦めます。M.S」

それを読み、胸の鼓動が鎮まるのを待って、英恵はコートのポケットにしまい
深呼吸をして、玄関の扉を引いた。

翌日の日曜日、朝からよく晴れていた。
目を覚めてからどきどきして天気を確かめるなど
英恵には久しぶりのことだった。
ただ、遅い朝食の準備をしながら午後2時に
行くかどうか迷っていた。
テーブルに飾った花瓶の一重咲きのバラを見るたびに
英恵の胸は踊った。

朝食中、夫が
「今日は夕方までに仕事が終わりそうで、夕方に久々に
飯に食いに行こう」
それを聞いた
5歳の息子は歓声をあげた。チョコアイスを食べたいという。

夫と息子は寝ぐせのままで
息子はスクランブルエッグのケチャップを皿の外にこぼし
夫はTシャツをぼりぼりかきながら、テレビを横目で見ている。

それを見て英恵は
「これが私の家族なんだ。」と思い、
その時、口にしたのは自分でも意外だった。

「今日の午後、吉祥寺に買い物に行ってくるから、
帰ってきてから行きましょう」

夫はテレビでプロ野球のストーブリーグの情報を見て、
息子はまだ「チョコアイス」と言い続ける。

そのような日曜の朝の心温まる家族の光景に
英恵は心底うんざりした。

いつもの倍の時間をかけて丁寧に化粧をした英恵は
午後1時過ぎに自宅マンションを出て、
吉祥寺駅に着いたのは約束の時間の10分前である。
そして、井の頭公園に続く階段を下りていく。
まだ、芹沢にどのように言うか迷っていた。

その時、3人連れの家族とすれ違い、
その中にいる自分の息子と同じくらいの年齢に見える
男の子に笑いかける。

その男の子は歌を歌いながら勢いよく登ってきて、
英恵に気付くと大きく手を振った。

自分の息子の名は、「英恵」の一文字取って、
「英吾」と名付け、「その名前が良い」と言ったのは
夫の直樹であった。

「英」という字は、バランスも音も響きも良く大好きな文字だと
直樹は言っていた。

英吾の寝顔と仕事をする直樹の背中を思い出して、英恵は
クスリっと笑った。

口元には笑いが残っているのに急に泣きそうになった自分に
英恵は驚いた。

ゆるやかな階段が終わり、屋根のように張り出した緑の下で
芹沢は待っていた。

英恵はにっこりと笑い背筋を伸ばす。英恵を見て芹沢は

「来てくれるとは思わなかった。急でしたから」

英恵と芹沢は池をめぐる遊歩道を肩を並べて歩き出した。
まるでフィギアスケートのペアダンスのように。

池に浮かぶボートの上で、大学生らしいカップルがいた。
この池のボートに乗ったカップルは必ず別れるといううわさがある。

すっくりと進むボートを英恵は眺めながら

はじまったものには、いつか終わりが来る
だが、別なことを始めるためには、先に終わらせておかなければならない
ものがある。

それはまだ、英恵には終わらせることができないものであった。

英恵はまっすぐ前を見ながら

「毎週のように花を買いに来てくれるのはとても嬉しかったです。
いつも短い時間だったけど、芹沢さんとお話ができて楽しかった。」

そう話す英恵の声の調子に芹沢は何かを感じ、黙って、英恵の隣を歩く。

足元で枯葉を踏む乾いた音がした。

英恵は一歩先に出て、背中越しに言った。

「でも、こうしてお店の外でお会いするのは今日だけにします。
芹沢さん、ごめんさない。この池を一周したら私は家に帰ります」

芹沢が
「それが一番良いのかもしれない。英恵さんには帰る家があるのですよね。
ご迷惑をおかけしました」と言うと、

英恵は「迷惑なんかじゃない。」と言いたかった。

あなたは、私の心がからからに乾いて
ひび割れそうにな時に、たっぷりと水分を送ってくれた。
感謝しているのはこちらの方だ。


芹沢はふっきれたようにサバサバと
「急な転勤の辞令が出て、来月から秋田市に行くことになった。
生保業界は転勤が多い。
だから最後にきちんとお会いして、気持ちだけでも伝えておこうと思って、
でも、僕のわがままでした。
英恵さんが作ってくれた花束を部屋に飾れなくなることが
これからはちょっと寂しいです」

それから二人は30分ほどかけてゆっくりと池を巡った。
家族のこと、友人のこと、学生時代の思い出、
もう何度も誰かに話したことを初めて話す時の新鮮さで
伝え合った。

自分の話をこんなに集中いて聴いてくれる誰かがいるのが
英恵はただ嬉しかった。

だが、楽しい時間は駆け足で過ぎてしまう。
どれほどゆっくり歩いても先ほどの出入り口は
近づいてい来てしまう。

最後の数十メートルを二人は無言のまま歩いた。
自分の名残惜しい気持ちは芹沢にも伝わっていると思った。
二人は枯葉が散らばる階段を見上げた。

芹沢は
「僕はここに残って、もう少し頭を冷やしていきます。
今日はどうもありがとう」
そう言って、手を差し出した。

英恵は階段を見上げてから芹沢を見た。
冷たい手を取って、指先だけそっと握る。
「私の方こそありがとう。いつかまた花束を作らせてくださいね。」
そう言って、芹沢の目を見ると、男の人の目を見て
これほど切なくなることはこれから一生ないかもしれない。
でもこれが良いのだ。
糸を引くように指を離す。

英恵は咲かせることができなかった白い蕾を一輪胸を奥に抱えて
階段をゆっくり登った。
毎日のように花を扱う英恵は知っている。

花はけっして咲いている時だけが美しいわけではない。
花には花の 蕾には蕾の美しさがある。
いつかこの蕾を咲かせる時が来るまで大切に残しておこうと思った。
その日はきっとやってくる。

・・・・・・・・・・・・・

という話であるが、

ラジオ文芸館は2年前(平成30年)の3月まで、
土曜日の午前8時台に放送されていたが、翌月の4月からは
放送時間が変わり、ラジオ深夜便の月曜 (日曜深夜) 午前1時台
のフロート番組(生放送のワイド番組の途中に挿入される内包番組)として
放送されるようになり、ラジオ文芸館を聴くことはなくなったが、
12月14日(月曜日)の午前1時台、この日の月曜日は
仕事が休みで少し寝てから、
深夜のコインランドリーにいくため
1時頃に起床して、ポケットラジオを耳にしながら
コインランドリーに行ったため、その日時に放送されていた
ラジオ文芸館を久々にじっくり聴くこととなった。

仕事で多忙で結婚記念日も忘れるような夫との関係に
乾いてしまった英恵の心に潤いをもたらす芹沢との
「関係」とも呼べないような淡いつながりの展開に
深夜のコインランドリーでポケットラジオから聴き入った。

この物語で、別れる彼女の27歳の誕生日に
27本のバラを買うところや

「長すぎた春というのは歌の中だけでなく、本当にあるのですね」
という芹沢のセリフに昭和50年(1975年)の
「風」の名曲である「22才の別れ」を思い出した。
この曲の2番の歌詞に

♪~私の誕生日に22本の ローソクを立て
ひとつひとつがみんな 君の人生だねって言って
17本目からは一緒に火をつけたのが昨日のことのように
今はただ5年の月日が 長すぎた春と言えるだけです~♪


とあるからだ。

そんな名曲を思い出させつつ素敵な物語が朗読される
ラジオ文芸館を久々に聴き入って、
また久々にこのブログで紹介したくなった。


石田衣良「十一月のつぼみ」の朗読は
次のリンクで聴けます

You Tubeラジオ文芸館・石田衣良「十一月のつぼみ」
https://www.youtube.com/watch?v=kPEHyIFAlqM



名曲である「22才の別れ」は次のリンクで聴けます

You Tube22才の別れ 風 1975
https://www.youtube.com/watch?v=eba9N_DDMsM



1ポンドの悲しみ (集英社文庫)


このブログ内の関連記事

○ラジオ文芸館に関すること

原田マハ 作の「無用の人」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で私の人生と重ね合わせながら聴いて・・・無用の人扱いされた他界した父が娘に贈った最後の誕生日プレゼントとは

原田マハ 作の「長良川」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・亡き夫との思い出が詰まった長良川を娘と娘の婚約者との旅で回想しながら、長良川の風景がいっさいがにじんで美しく見えていた。

ロバのサイン会・・・消費され消え行くものに過ぎないものが育む絆・・・耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いて・・・

「トオリヌケ キンシ」(加納朋子 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・何気ない日常のふるまいが誰かを大きく助けていることがあれば嬉しいですね

「本番、スタート」(ドリアン助川 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・日の目を見ず、下っ端であろうが、その人の人生の主人公はその人本人なのである


「蒼い岸辺にて」(朱川湊人(しゅかわ・みなと) 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・自殺を図った主人公が三途の川で見た自分の未来とは・・・死で逃げるのではなく、生きて逃げてひきこる、生き続ければ、小さな楽しみや喜びを見出せるから

「かがやく」(帚木蓬生 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・人間は自分が得意として輝いている時のことに関心を持ってもらえることに喜びを感じるのだ


「海の見える理髪店」(荻原浩 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・老男が店主の海の見える理髪店に結婚式を控えた青年が初めて通ったその理由とは! 「青年のつむじ」と「床屋のブランコ」・・・最後はしみじみと深く余韻が残る直木賞受賞作品ですね


「遠い野ばらの村」(安房直子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・小さな村の雑貨店店主のおばあさんは実在しない息子家族の空想話を楽しそうにいつもしていると、なんと本当に孫娘が表れた!!おばあさんは孫娘の正体を知っても孫に会える嬉しさは変わらなかった


「デートまでの道のり」(瀬尾まいこ 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・早くに母親を亡くした保育園児の男の子とその父親と担任の保母さん先生の3人のデートを成すことはできるのか


「水曜日の南階段はきれい」(朝井リョウ 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・英語が得意な高校3年生の女生徒が毎週水曜日に学校の南階段を掃除するその理由は・・・英語が得意な女子高生に特訓を受けるミュージシャン志望の男子受験生の物語

「沖縄戦下の幼女 みえちゃんからの伝言」(比嘉淳子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・夫婦不和で育つ子供の心にできた哀しみの魂の大穴は、戦争で怯えて亡くなった子供の哀しみと変わらない・・・己ばかりを優先せず、まわりと調和することの大切さ

「あなたに会いたい」(浅田次郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・出世のために若かりし時に捨てた恋人の幻影か・・カーナビからの「あなたに会いたい」の声で誘われた場所は・・・

「サヤンテラス」(乙川優三郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・私の愛するテラスでの亡き夫の声は幽霊か面影か

「仮面パパ」(森浩美 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・偽りの「育メンパパ」に仕組まれたワナは

「車窓家族」(高田郁 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・車窓から見える老夫婦の何気ないほっこりした日常が見知らぬ人どうしの言葉を交わすきっかけをつくり

「曲芸と野球」(小川洋子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・曲芸師の女性と野球少年という異色の組み合わせの男女の淡くも末永い絆

「はるか」(北村薫 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・天真爛漫の無邪気な女子高生の明るさが潤いと彩りのある豊かな日常にもたらす

「超たぬき理論」(東野圭吾 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・えっ!UFOの正体はたぬきが化けた文福茶釜だってえええ??・・・こじつけと思い込みの想像力・・ちなみに、宇宙人って誰のこと

「イービーのかなわぬ望み」を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・垂直移動のエレベーターで生きてきたイービーの結末から「空間」についてちょっと思う

耳で聞く短編小説ラジオ文芸館 鈴木光司 作「大山」・・・バブルに翻弄された元夫からの復縁の申し出の旅路にて、元妻からの粋な計らいとは

人生という名の自転車は、自力で漕ぎ続けるのだ・・・「耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館」で「自転車を漕ぐとき」、41歳無職の男の物語を同じく41歳で再び無職に戻る私が聴いて

2か月に1度行く、上新庄のミスタードーナッツで、ラジオ文芸館のアンコール放送「尾瀬に死す」を耳にして、前回も同じ場所でそれを聴いていたので、デジャブさを感じた

透明人間とはそういうことだったのか!・・・耳で聞く短編小説ラジオ文芸館、島田雅彦の作「透明人間の夢」を聞いて、ホームレス寸前の彷徨う若い男女の恋の結末は!

人生、思わぬ偶然のできごとでどう変わるかわからない・・・角田光代の「誕生日休暇」を耳で聞く短編小説「ラジオ文芸館」で耳にして


テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術


原田マハ 作の「長良川」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・亡き夫との思い出が詰まった長良川を娘と娘の婚約者との旅で回想しながら、長良川の風景がいっさいがにじんで美しく見えていた。

今日は、2018年(平成30年)3月18日 日曜日

昨日の午前8時05分から
NHKラジオで
「耳で聞く短編小説 ラジオ文芸館」を
小型のポケットラジオで聴いた。

昨日の小説は、原田マハの作品の
「長良川」でラジオ文芸館のページから引用すると、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2018年3月17日
作:原田マハ

 娘の麻紀とその婚約者とともに1年ぶりに長良川の鵜飼いを見にきた堯子(タカコ)。
去年、横にいた夫・芳雄の姿はもうない。川原町の小路を歩くうちに、
麻紀(マキ)が一軒の「水うちわ」の店に気づく。
そこは、25年前にも夫と新婚旅行で立ち寄った店だった。
 やがて、屋形船に乗り込んだ三人。夫が一年前、
「おれが、死んだら。」と言った言葉がよみがえってくる…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と簡単なあらすじの説明があるが、
堯子(タカコ)が
娘の麻紀(マキ)と麻紀の婚約者のショウゴともに
鵜飼見物のため長良川に旅行に行くのだが、
その旅行のひとこまとそれに付随して
堯子が亡き夫の回想場面が交互に
展開される物語である。

どんな物語か詳細を以下に書いていく。

一部記憶が曖昧な部分があり、少し内容が間違っているかもしれまん。
お許し下さい。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

1年前に夫を亡くした堯子(タカコ)は
娘の麻紀(マキ)と麻紀に婚約者のショウゴと
長良川に旅をしていて、宿屋にいた。


宿屋の仲居が
「失礼ですが 奥様 昨年の今頃お泊りになられましたでしょうか」
と声をかけてっきた

堯子「じゃあ あの時もお世話になったのかしら」

仲居「確か昨年の花火大会の前の日で
ご主人様が娘が嫁に行って
夫婦2人きりになるので
今回の旅はその予行演習とおっしゃって」

堯子「そんなこと覚えておられるのですね。」


仲居「それはもうとても仲のよろしい素敵なご夫婦でいらっしゃいましたから。
今回はご主人様はお留守番でいらっしゃいますか」
何気なく仲居が尋ねる

一瞬3人はこおりついたが

「一緒に来たかったのですが」堯子はそう答えた。



堯子が見合い結婚をしたのが25歳の時。
その倍生きてきて、娘が自分と同じ25歳で結婚するのを
不思議に思っている。

縁談は父の姉がもってきて、堯子はあまり乗り気でなかったが、
付き合っている男性もいるわけでもなく、断る理由もなかった

芳雄は堯子は好みのタイプだったが、
堯子は芳雄は好みではなく、この縁談を無かったことに
してもらおうと思った。
見合いの時、
お互いにムッツリしていた。するとおばが席を外して
堯子と芳雄の2人だけになり、

芳雄が「僕といても退屈でしょう。あなたにせっかくえくぼがあるのに
それがはっきり見れませんから」

思わぬ芳雄の一言に
堯子はプッとふき出してしまった。
その堯子の顔を見て、芳雄も笑顔になった。

芳雄「そのえくぼいただきました。」

堯子はいつも笑顔を絶やさない家庭が築ける予感が嬉しかった。
6回目のデートで芳雄は堯子のプロポーズをして

芳雄「あなたのえくぼ一生絶やさないようにします。」
そして、芳雄は堯子の手を壊れ物にもさわるかの感じで握った。
あの時のあの手の暖かさが今もふと蘇る。



堯子と麻紀とショウゴは3人で歩いていると
水うちわを売っている店に着いた。

麻紀はそのうちわを父の芳雄が使っていたのを覚えていた。
堯子は昨年芳雄とその店に来たことを思い出す。

芳雄「はじめて来た時も水うちわがあったよな」
堯子と芳雄の新婚旅行の時のことであった。安くはないが
珍しいということで買ったのだ。

芳雄「生まれたばかりの麻紀に君が添い寝しながら、このうちわを扇いで
やっているのを見たとき、青い風が目に見えるくらい涼しそうだった。
まるで、幸福のかたちが目に見えた。そんな気がした」

1年前のその日、普段と違って饒舌になり
堯子を笑わせたり、文学的なことを言ったりして、
芳雄はその日だけは詩人だった。

麻紀を出産した時、産道が狭く難産だった。
陣痛が始まり3日3晩苦しんだ。
芳雄はトイレ以外はひと時も堯子のそばから
離れず寄り添った。
陣痛で額に汗かき苦しむ堯子は芳雄に
こう懇願した。

「ねえ、何か話して。気がまぎれること。」

急に言われた芳雄は

「何かって?何を?」

とオロオロした。

「何でもいい。おもしろいこと」

「おもしろいこと?小話みたいなことか?」

堯子は歯を食いしばる。

「ああ、痛!何でも良いってばあ。早く」

「ええと、ええと、それじゃあ。
日本全国の一級河川と支流の名前。」

芳雄は大学の土木建築科で河川と橋の研究をしていて、
主に橋梁の耐久性で教鞭を取っていた。

芳雄は苦しむ堯子の背をさすりながら
日本の一級河川を北から順番に

「北海道。天塩川。支流、似峡川、ペンケヌカナンプ川・・・」と

一級河川と支流の名前をスラスラといい始めた。
芳雄や研究や役所の依頼で
全国の河川に行くとそれを写真に撮り
堯子に見せていた。
芳雄にはなかなか写真の腕前があるようで、
記録用に撮影した川や橋の写真には
光のさざめき、川面を吹き渡る風の気配など
風情が感じられた。

堯子は朦朧としながらも表れては消える
大河を想像した。
いつしか堯子は川の流れに身を委ねるような感覚になった。
堯子は川面に悠々と浮かび、その川は
長良川のイメージだった。

芳雄は君に見せたいものがあると、
新婚旅行の行き先を長良川にしたのであった。

「自分が調査してきた川で、一番好きな川だ」

夏の夕刻の長良川河畔にて、
新婚の2人が佇んだ。
夕陽がゆらゆらと川面を燃え立たせていた。
芳雄は
「研究でつまづいたりしたら、この川を思い出す。
川があって、橋があって、人々が行き来して、川辺があり、
家が並び、釣り人が糸を垂れて、大昔から続く人間の営み、
その中心を静かに流れていく川。
人間は小さいが、小さいなりに川と付き合っている。
人間はなんだかかわいい。俺も小さい、かわいいもんだ。」

夫になったばかりの人とささやかな川風を感じながら、
歩いた川辺。どこまでも続くなだらかで真っ直ぐな川。
長く苦しい分娩の最後にスーと真ん中を通ったのは
川のイメージだった。
そして、無事、麻紀を出産したのであった。

すると、芳雄のつぶやきが聞こえてきた。
なんと、途中で言いやめていた
全国の一級河川や支流の名前を言い続けてきた。
そのうち羽毛のような柔らかな眠りが降りてくる。
半分夢の中で、堯子の耳はずっと遠くで
さらさらと流れる川の音を聞いている。



窓の外はすっかり夜の帳が降り、
堯子と麻紀とショウゴの3人は鮎料理屋のカウンターで
座っていた。
麻紀の結婚相手の の
「うまい」と言っての鮎の食べっぷりが
芳雄と似ていた。

堯子「周りの目を気にせずうまいものはうまい。
好きなものは好き。やりたいことはやる。
お父さん(芳雄)の場合は研究者だったから
そういう人だったからそんな人と知らず結婚した。」

麻紀「後悔しているの?」

堯子「後悔していない。幸せだったわ。すごく」

堯子は手にしたグラスをコトンと置き、

「幸せだった」夫の芳雄も1年前のあの夜
このカウンターでそうつぶやいていた。



1年前この鮎料理屋のカウンターで
芳雄と堯子は2人ならんで座っていた。
抗がん剤で頭髪が無くなった芳雄は
鮎をおいしそうに食べていた。

病院の暮らしをようやく芳雄は
見違えるように生き生きしていた。
鮎を食べながら「うまい。うまい。生きてて良かった」と
連呼していた。
芳雄のそのような姿に命の輝きを見た。
鮎をむさぼる
みずみずしい芳雄の姿に
堯子は「ひょっとして」と思わずに
いられなかった。


ひょっとしてこんな感じで
毎日大好きな食べて、自分が片時も離れず
傍にいて楽しく笑って暮らす生活をしばらく続ければ
ひょっとして病気が治ってしまうのでは。
笑いは特効薬と何かの本で読んだことがある。
笑い続けることで病巣もなくなってしまうこともあると。
毎日毎日鮎を食べればいい。そのため
この長良川の川辺の町に引っ越してもいいかもしれない。
麻紀は来年結婚をする。
夫婦2人でこの川風を感じるまちで暮らす。
悲しみも心配もない平穏な日々を。

そのような空想を堯子はめぐらせた。

すると、食事を満足に終わらせた芳雄がひとこと

「ありがとう。幸せだった」

その堯子の中に怒りに似た気持ちがこみ上げてきた。

「どうして過去形なの」

ムキになって堯子は返した。

「幸せだった、じゃないでしょ。幸せだ。でしょ
言い直してよ。じゃなきゃ。嫌だ。許さない。
この後、鵜飼も見にいかない」

堯子のあまりの剣幕に芳雄はきょとんとした。
そして、芳雄は自分の禿げた頭をぺチンと叩くと、

「ああ、悪かった。言い間違えた。
幸せだ。幸せだよ」

とあわてて言うと、芳雄は自分のはげ頭を
何度もペチペチと叩くと、
芳雄をぐっとにらんでいた堯子は
そのペチペチする芳雄のしぐさがあまりも
おかしくてついつい笑ってしまった。
2人は肩を寄せ合って笑いあった。

しあわせだった・・・



鵜飼観覧船の屋形船に
浴衣姿の堯子と麻紀とショウゴは乗った。
すると、
堯子は少々得意気に
「鵜飼は1300年の歴史があり
鵜飼は世襲制」など
鵜飼の歴史などについて
若い2人に話した。

堯子はそのように話ながら
不思議な気がした。
新婚旅行の時、鵜飼について
あれこれ語ってくれたのは芳雄だった。
その説明をこんなにもつぶさに覚えているなんて。

鵜飼観覧船の屋形船から
堯子達3人が鵜飼の様子を見ていると
堯子は芳雄の1年前に言ったことを思い出す。

「俺が、死んだら。」


1年前のあの夜、鵜飼見物をしながら夫は言ったのだ。

「なあ、堯子。俺が死んだら。
どうか君が好きなように残りの人生を生きてくれるか。
今まで俺は随分身勝手だった。
研究にかまけて、調査や現場に出かけてばかりで
何日も何日も帰らずに。気の利いたみやげ物を買いもせず。
家庭のこと。麻紀のこと。全部、君に任せきりだった。
それでも君は嫌な顔をひとつもせずに、立派にあの子(麻紀)を
育ててくれたね。麻紀は本当にいい娘になった。
恋をして、随分綺麗になったもんだ。
時々、ふと、昔の君の面影が重なるよ。
そう、出会ったころの。
(中略)
なあ、堯子。俺が死んで、麻紀が嫁にいっちまったら、
君は独りになるけれど、淋しくなるかもしれないけれど、
第2に人生を始めて欲しいんだ。
好きなところに行って、好きなものを食べて、
好きな音楽を聞いて、好きな絵を見て、
好きな花を育てて、好きな本を読んで、
そして、もし、好きな男ができたら
迷わずにそいつと生きて行って欲しい。
なあ、堯子。そうしてくれるかな。
そうしてくれよな。
俺が、死んだら・・・」

堯子達3人を乗せた屋形船は
船着場に到着した。
3人は下船して、

「ああ、楽しかったね」

麻紀がはずんだ声で言った。
母(堯子)はまだ
川辺にたたずんでいる。
暗い川の流れを黙って眺めているようだ。

「お母さん」と麻紀が呼びかけようとするのを
ショウゴが止めた。
そしてささやいた。

「今は、そっとしておこう」

麻紀はじっと母の後姿を見つめていたが
やがて小さく頷いた。

カラコロと心地よい下駄の音が遠ざかっていくのを
堯子は背中で聞いている。
波が引くように観光客の群れは旅館街へと消えていった。
明るく声を掛け合いながら、船を仕舞いにかける船頭達。
長良橋を行き交う車の音。
とうとうと流れる水の音。
川面には光を戻した宿の灯りが
ゆらゆらと灯っている。

堯子の目には
いっさいがにじんで美しく見える。

(終)

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

堯子はとても亡くなった夫の芳雄を深く愛していたのだなと
思える物語であった。
亡くなった夫と過ごした思い出が詰まった長良川でのできごとを
娘と娘の婚約者との旅で、次々と思い返される。

特に最終場面にかけての
1年前に、亡き夫となる芳雄が
「俺が、死んだら、君が好きなことをして、
好きな男ができたら、そいつと一緒に生きて行って欲しい」
と言うところを堯子が
娘らと屋形船に乗船している時に思いだして、
そして、屋形船からおりて
ひとりただずんで夜の長良川の風景が

いっさいがにじんで美しく見える。

とあり、堯子の目が潤んだゆえに
にじんで見えてしまったのだろうかと
想像する終わり方であった。
このとき、私は西宮市内を目的地に向いながら
ポケットラジオで交差点の信号を渡っていた。

この原田マハの長良川という作品は
彼女の短編小説集の「星がひとつほしいとの祈り」に
収録されている。

「星がひとつほしいとの祈り」について
原田マハさんは次のように語っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

原田 寄り道しながら私も生きてきました。旅をして、敢えて寄り道をする
ことで気がつくことが多いんじゃないかなと思います。
「長良川」「沈下橋」で、私より上の年代の女性を主人公にしたというのも、
自分が四十代、五十代になってくると、母親の世代がどういう苦労をしてきたかなど、
若い時になかなか分からなかったことにようやく気がついてきたからですね。
旅先で、自分の両親のことやいろいろお世話になった人を思い出しながら、
申し訳なかったな、ありがたかったなと思ったりします。
この物語は人生の先輩に捧げたいという想いがありました。
この親本が出た時も、伴侶を亡くされて落ち込んでいた方や、
疲れて病気になってしまった方などに本をプレゼントしたのですが、
とても喜ばれました。小説を読んでいる時に、自分の人生を振り返ってみたり、
それで少し癒されたりしてくれたら、私もうれしいですね。

――母と娘という関係もありますね。

原田 最近は、一卵性のような母娘の方々もいると思うんですが、
母親って子どもに対して、いつも片思いしているようなものだというのを、
なにかの本で読んだんです。自分たちが思っているほど、
子どもの方はなかなか応えてくれない。自分を省みると、
そうだったなと思います。
だから、すれ違いながらも近付いていくみたいな、通じ合える母娘の関係を、
お母さんの世代と娘さんの世代の両方に伝えられると良いなと思って書きました。

実業之日本社 
『星がひとつほしいとの祈り』原田マハ氏インタビュー
「親子関係、旅、女性の物語です。この文庫を持って旅に出てください」より


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、当ブログでは
ラジオ文芸館で放送された短編小説を複数とりあげているが、
原田マハさんの作品を取り扱うのは今回で2回目である。

前回は平成27年(2015年)5月9日に放送された
「無用の人」である。この作品も素敵な作品で
後ほど載せるリンク集の冒頭にリンク先があるので
ご興味ある方はお読みいただければと思います。

ニコニコ動画。
【ラジオ文芸館】浜田 マハ 「長良川」(「原田マハ」を間違えたのか「浜田 マハ 」と表記している)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32897559





このブログ内の関連記事

○ラジオ文芸館に関すること

原田マハ 作の「無用の人」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で私の人生と重ね合わせながら聴いて・・・無用の人扱いされた他界した父が娘に贈った最後の誕生日プレゼントとは

ロバのサイン会・・・消費され消え行くものに過ぎないものが育む絆・・・耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いて・・・

「トオリヌケ キンシ」(加納朋子 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・何気ない日常のふるまいが誰かを大きく助けていることがあれば嬉しいですね

「本番、スタート」(ドリアン助川 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・日の目を見ず、下っ端であろうが、その人の人生の主人公はその人本人なのである


「蒼い岸辺にて」(朱川湊人(しゅかわ・みなと) 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・自殺を図った主人公が三途の川で見た自分の未来とは・・・死で逃げるのではなく、生きて逃げてひきこる、生き続ければ、小さな楽しみや喜びを見出せるから

「かがやく」(帚木蓬生 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・人間は自分が得意として輝いている時のことに関心を持ってもらえることに喜びを感じるのだ


「海の見える理髪店」(荻原浩 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・老男が店主の海の見える理髪店に結婚式を控えた青年が初めて通ったその理由とは! 「青年のつむじ」と「床屋のブランコ」・・・最後はしみじみと深く余韻が残る直木賞受賞作品ですね


「遠い野ばらの村」(安房直子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・小さな村の雑貨店店主のおばあさんは実在しない息子家族の空想話を楽しそうにいつもしていると、なんと本当に孫娘が表れた!!おばあさんは孫娘の正体を知っても孫に会える嬉しさは変わらなかった


「デートまでの道のり」(瀬尾まいこ 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・早くに母親を亡くした保育園児の男の子とその父親と担任の保母さん先生の3人のデートを成すことはできるのか


「水曜日の南階段はきれい」(朝井リョウ 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・英語が得意な高校3年生の女生徒が毎週水曜日に学校の南階段を掃除するその理由は・・・英語が得意な女子高生に特訓を受けるミュージシャン志望の男子受験生の物語

「沖縄戦下の幼女 みえちゃんからの伝言」(比嘉淳子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・夫婦不和で育つ子供の心にできた哀しみの魂の大穴は、戦争で怯えて亡くなった子供の哀しみと変わらない・・・己ばかりを優先せず、まわりと調和することの大切さ

「あなたに会いたい」(浅田次郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・出世のために若かりし時に捨てた恋人の幻影か・・カーナビからの「あなたに会いたい」の声で誘われた場所は・・・

「サヤンテラス」(乙川優三郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・私の愛するテラスでの亡き夫の声は幽霊か面影か

「仮面パパ」(森浩美 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・偽りの「育メンパパ」に仕組まれたワナは

「車窓家族」(高田郁 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・車窓から見える老夫婦の何気ないほっこりした日常が見知らぬ人どうしの言葉を交わすきっかけをつくり

「曲芸と野球」(小川洋子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・曲芸師の女性と野球少年という異色の組み合わせの男女の淡くも末永い絆

「はるか」(北村薫 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・天真爛漫の無邪気な女子高生の明るさが潤いと彩りのある豊かな日常にもたらす

「超たぬき理論」(東野圭吾 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・えっ!UFOの正体はたぬきが化けた文福茶釜だってえええ??・・・こじつけと思い込みの想像力・・ちなみに、宇宙人って誰のこと

「イービーのかなわぬ望み」を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・垂直移動のエレベーターで生きてきたイービーの結末から「空間」についてちょっと思う

耳で聞く短編小説ラジオ文芸館 鈴木光司 作「大山」・・・バブルに翻弄された元夫からの復縁の申し出の旅路にて、元妻からの粋な計らいとは

人生という名の自転車は、自力で漕ぎ続けるのだ・・・「耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館」で「自転車を漕ぐとき」、41歳無職の男の物語を同じく41歳で再び無職に戻る私が聴いて

2か月に1度行く、上新庄のミスタードーナッツで、ラジオ文芸館のアンコール放送「尾瀬に死す」を耳にして、前回も同じ場所でそれを聴いていたので、デジャブさを感じた

透明人間とはそういうことだったのか!・・・耳で聞く短編小説ラジオ文芸館、島田雅彦の作「透明人間の夢」を聞いて、ホームレス寸前の彷徨う若い男女の恋の結末は!

人生、思わぬ偶然のできごとでどう変わるかわからない・・・角田光代の「誕生日休暇」を耳で聞く短編小説「ラジオ文芸館」で耳にして


テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術