鉄道と初詣・・・・コロナ禍で分散詣で呼びかけ・・「初詣」は明治時代に生まれた表現、もともとは家で神様を待つ習わしだったが、やがて恵方詣での分散参拝となり、明治以降、鉄道会社のマーケティングで現代の「初詣」になっていく
今日は、令和4年(2022年) 1月 1日 土曜日
年が明けて、神社仏閣への初詣をする方々多くいるが、 新型コロナウイルスの感染予防対策として 各地の神社やお寺では正月三が日に人が集中しないよう、 初詣の分散参拝を呼びかける動きが広がっている。
私が住む西宮市にある 商売繁盛の「えべっさん」の総本山である 西宮神社では、昨年の12月から初詣期間になっていて、 昨年12月1日から今年2月末までの期間を 「大福初詣」(だいふくはつもうで)と称して 分散参拝を呼びかけている。 いつ参拝しても 「ご利益は変わりません」とのこと。
もともとは初詣は神社に行くというよりも 正月に家で神様を新年の運気をくださる 年神様を待つ習わしであったという。
やがて、江戸時代の後半には 庶民が、良い運気のある方角の神社や寺に 自ら足を運んで参拝するようになった。
このことを「恵方詣(えほうもうでorえほうまいり)」と 言っていた。
そして、さらに、より早く、ご利益を得て 良い運気がもらえるようにと 明治時代になると鉄道網の発達で 寺社への初詣参拝が盛んになっていた。
さて、この「初詣」という表現は 明治時代に生まれた表現である。
それに関わっているのが 神奈川県川崎市にある川崎大師とされる。
川崎大師は弘法大師にゆかりの21日が毎月の縁日で 特に正月である1月の21日は 初大師、初縁日としてにぎわった。
ここから、必ずしも初詣が現在のような正月三が日に 集中していたわけではなく、分散参拝されていたことが うかがえ、 明治の中頃までは、七草の頃まで、あるいは小正月、 つまり1月15日までにお参りする習慣だったという。
さて、明治時代になり 明治5年(1872年)に 新橋と横浜の間で鉄道が開業すると、 途中の川崎駅に最寄りの川崎大師へ、 遠くから参詣に訪れる人が増え出した。
新しい汽車というものができて、 ただ、「神社にお参りしたい」という思いだけでなく 「汽車に乗ってお参りに行きたい」という思いを 人々が抱くようになる。
歴史学の平山昇氏によると、「初詣」という表現が 初めて出てきたのは、 明治18年(1885年)、東京日日新聞の1月2日の記事で あったという。その「初詣」という表現が出た記事には 前日の元日に、川崎大師に人々が参拝する様子を 記事で伝えていた。
その記事では、普段は急行電車は川崎駅には止まらないが 元日には川崎駅に、急行電車に停車して、 初詣に参拝が便利になっている様子を伝えている。
川崎大師への参拝客に汽車を利用してもらおうと 川崎大師への参詣を勧める広告を出して、 初詣参拝を盛り上げようとした。
この結果、鉄道網の発達と鉄道会社の営業戦略により 恵方という縁起の良い方角に行って参拝するよりも 好きな場所で初詣をするという風習になってきた。
そして、明治中頃には、 近代化に伴う都市の発展で会社務めの方が多くなり のんびり休めなくなってきたので、 初詣参拝は仕事始めの前の正月三が日に集中するように なり、現在の初詣の形態になってきた。 ただ、昨年と今年は 新型コロナ感染症拡大というパンデミックにより 江戸時代にあったような分散参拝を 寺社側が求めるようになっている。
江戸時代後半より前は 新年の運気をくださる年神様を家で待つ というのは 幸福を運んでくる来客あるいは客神を待つ という客人(まれびと)信仰をうかがわせる 風習であったが、 江戸時代後半になると、恵方のある神に こちらから出向いて参拝する形となり、 そして、明治時代になると 鉄道網の発達により 行きたいところ、好きな場所に出向いての 初詣参拝に変遷していき、現在に至っている。
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