1年越しの一首のリレー・・・4月13日、1年前と同じ場所で同じ日の同じ時間帯に、一首を思いつく
今日は、令和5年(2023年)4月13日 木曜日
当ブログの一昨日の記事
今日(令和5年4月11日)で、神戸三宮周辺で勤務を始めて1周年・・・三宮周辺の約200mの範囲が私にとって縁深い場所となっている
4月11日で、三宮周辺での勤務が1周年をむかえたことについて、 1年前は4月中に終わる予定の仕事があれよあれよと延長になって、 今年の4月からは、3月末まで勤務していた場所のすぐ近くで 勤務を始めていることについて書いたが、
本日の4月13日、1年前と同じ場所で同じ時間帯で 同じことをしたのであった。
当ブログの昨年の4月13日の記事
神戸三宮のベンチにて、振り向いて霧立ちのぼる六甲山を見て一首閃き、心が動く・・・閃きというのはこれまでの積み重ねと何気ない行為から生まれたりすることがあ
にて、以下の内容のことを書いた。
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西宮市の自宅を午前5時30分に出て、 午前6時30分過ぎには、 阪急の神戸三宮駅に到着した。
三宮センター街に行き センター街にある サンマルクカフェはいくことに しているのだが、 営業開始が7時からなので、 それまでの間、
三宮センター街前の フラワーロードの三宮駅前のバス停近くの ベンチに座って、

ふと振り向くと、 六甲山系の山並みから霧が立ち上っている 様子が見えた。

その時、 ふと、
村雨の霞もまだひぬ真木の葉に 霞立ちのぼる秋の夕暮
という小倉百人一首八十七番の 寂蓮法師(じゃくれんほうし)の一首を思い出した。
夕暮れではないなと思うと、 またまた小倉百人一首の一首で 六十四番
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに 現れわたる瀬々の網代木
という一首を思い出した。
夕暮れではなく、朝。 秋ではなく春。
ふと、自分なりに一首を思いついた
朝ぼらけ 町のベンチで 振り向くと 霧立ちのぼる 春の六甲
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と、三宮駅前のフラワーロードにあるバス停から 見える霧立ちのぼる六甲の山並みを見て、 小倉百人一首の一首から二首の歌が思い浮かべて それを参照しながら、一首思いついたことを書いた。
そして、1年後の同じ日の 本日の4月13日の6時33分過ぎに
三宮センター街前の フラワーロードの三宮駅前のバス停近くに行き、

そこから見える摩耶山をはじめ六甲山系の 山並みが見えたが、

中国大陸からの黄砂で六甲の山並みがかすんで見え、
すぐに
一年後、 黄砂に霞む 六甲山
と、一句を思いついた。
その後、三宮センター街にある サンマルクカフェの前で 開店時間になるまで、 そのカフェの前にあるベンチに座っていると、
一句で終わるのではなく、1年前のように一首にしようと思い、
一年後、黄砂に霞む 六甲山 霧の山から 霾(つちふる)山へ
と、もともと一句だった部分を上の句にして、 新たに、
霧の山から 霾(つちふる)山へ
という下の句を付け加えて、 一句から一首に変えた。
霾(つちふる)とは、 黄砂を意味する春の季語である。
一年前の三宮駅前のバス停から見えた 六甲の山並みは、霧立ちのぼる山であったが、 1年後の今日は、 黄砂に覆われ霾(つちふる)山になっていた。
その様子を一首に表してみた。
その思いついた一首を
櫻井 歓氏の著書「西田幾多郎 世界のなかの私」の 最後の見開きのところに書き込んだ。

そのところは 1年前の4月13日に

朝ぼらけ 町のベンチで 振り向くと 霧立ちのぼる 春の六甲
と、その時閃いた一首を書き込んだところである。
1年前の4月13日に、 まさか、1年後の同じ日の同じような時間帯に 同じ場所で一首を考え、 同じ著書の場所に書き込むことになるとは 思わなかった。
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