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言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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「行動制限のない年末年始」というマスコミ報道の表現に強い違和感・・・・政府からの強制力のない要請に国民が応じないことは許されないこととマスコミは認識しているのか?

今日は、令和5年(2023年)1月 3日  日曜日

この年末年始で、マスコミからの報道のある表現に
私は強い違和感を抱いている。

その表現とは

行動制限のない年末年始

という表現である。

新型コロナウイルス感染対策のための「行動制限」がない3年ぶりの
年末年始など報道されているが、

私は、そもそも政府からの「行動制限要請」はあったが、
「行動制限」はないと認識である。

まず、制限の意味について、様々な辞書には


区切りを定め、その区切りを超えることを禁ずること。

ここまでは許せる(したがって、そのほかは許さない)という限界を決めること。


制限という言葉の「制」とは、おさえつけることや従わせることを表し、
「限」とは範囲を定めることを表す

など、「制限」という表現には
ある一定の範囲を超えることを許さない、禁止するなど

強制力をともなう意味がある。

ただ、新型コロナ感染症対策で日本政府から
国民に対する呼びかけは、強制力のない要請で、
つまり、政府からの強いお願いではあるが、

その政府からの要請に応じるか応じないかは
国民個々個人の判断に委ねらている。

それは要請であって、「許さない」「禁止」などの
強制力を意味する「制限」ではない。

つまり、もともと
日本政府から新型コロナ感染症対策で
日本国民に対して、政府は制限などを科しておらず、
ただ、強いお願いしてきただけである。

そもそも「行動制限」はなく、
ただ「行動制限」の「要請」が政府から
国民に出されたに過ぎない。

それなのに、NHKを含め大手マスコミは

「行動制限のない」

と平然と使っていて、

NHKを含め大手マスコミにいる人たちは

政府からの要請を無視することは許されない
禁止されているという考えているのだろうか?

もし、そうだとしたら、
日本のマスコミはとても自由民主主義国家の
報道機関ではないと私は思ってしまう。



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テーマ:報道・マスコミ - ジャンル:政治・経済


「警報」ではなく「alert(アラート)」・・・「熱中症警戒アラート」という名称への違和感・・・「光化学スモッグ警報」というものがあるが・・

今日は、令和4年(2022年)7月3日 日曜日

今年の6月下旬から7月初旬にかけて
全国的に早い梅雨明けとともに
猛暑となり、熱中症の注意喚起が呼びかけられているが
それに関して、ふと気になる名称がある。

それは「熱中症警戒アラート」である。
これは、気温や湿度などにより暑さ指数を求め、
その暑さ指数に基づいて熱中症予防行動を促すための
注意喚起の情報である。

その注意喚起の情報である「熱中症警戒アラート」が
なぜ、日本語の「警報」ではなく
英語の「alert(アラート)」という表記にしたのかと
それが気になった。

「熱中症警戒アラート」という名称になった
経緯はわからないが、

「熱中症警戒警報」という名称になると
大雨警報や暴風警報などの気象警報と区別するため
英語表記の「alert(アラート)」を用いたのだろうか?

ふと、そうなると、「alert(アラート)」は
警報よりも軽いのかと受けっとられかねないのではないかと
思ったりした。

そういえば、夏場の気象関係の注意喚起情報として
工場や自動車などから排出される窒素酸化物などが
太陽の紫外線があたることにより発生する光化学スモッグによる
目や喉の健康被害を防止の注意喚起をするために
スモッグ気象情報が発信されるが、
それには「光化学スモッグ警報」というものがある。

夏場の光化学現象という気象によって発生する
大気汚染による健康被害防止のための「警報」があるのに、
同じく夏場の熱さによる健康被害防止のための
気象情報の発信の場合には、
「警報」という日本語ではなく、
「alert(アラート)」という英語を用いることに
違和感を感じる。

ただ、「熱中症警戒アラート」という名称に
違和感を感じず受け入れられている日本人が
多くなっているとすれば、
それには気持ち悪さを感じる。


ちなみに一昨日(令和4年=2022年、7月1日)
私が住む兵庫県西宮市では
光化学スモッグ注意報が発令されていた。


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父の日の朝、NHKラジオで気象予報士の女性が父の日にちなんだダジャレを言っていた・・・同音異義語とオノマトペを用いて

今日は、令和4年(2022年)6月19日 日曜日

本日は父の日、
今朝の7時53分後、自宅近所のロッテリアで
ポケットラジオでNHK第一放送の「マイあさ!」の
エンディングにさしかかるころ
気象予報士の黒木愛子さんが

「洗濯物は、ぱぱっと乾かす」という主旨の

父の日にちなんだダジャレを言っていた。

父を意味する「パパ」と
手際よくすばやいさまを意味する
擬態語でオノマトペでもある「ぱぱっ」とを
かけ合わせたダジャレである。

同音異義語とオノマトペを用いて
気象予報士の黒木愛子さんが
父の日にちなんだダジャレを
言ったのであった。


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NHKニュースで「ハードルが下がっている」という表現が使用されていたことから思ったこと・・・陸上競技の障害走由来の表現が一般化しているのだなあ

今日は、平成30年(2018年)11月15日 木曜日

今朝のNHKニュースで、このようなニュースがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ネット通販の製品事故に注意を
(NHK NWESWEB 首都圏 NWESWEB 2018年11月15日 6時30分)


インターネット通販で買った商品をめぐる製品事故の相談はこの5年間で9000件を超え、
SNSやネット広告が購入のきっかけとなったケースも目立つことから、
消費者庁は、ネット通販を利用する

ハードルが下がっている

ことも一因になっているとみて注意を呼びかけています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という内容であるが、ニュースの内容よりも
文言の表現である。

それは「ハードルが下がっている」という表現である。

ハードルは陸上競技の障害走で使用される高さ76.2㎝~106.7㎝のバーの
道具である。

まさに、その障害性ゆえに飛び越えるのが
難しかったりするが、
それに由来する「困難な事情」を意味する表現として、

ハードルが高い

という表現が使用されたりする。

一方、その反対の意味として、困難性が低下して、
やり易くなったりすれば、

ハードルが下がる

という表現が使用されたりする。

今回、NHKニュースで
その「ハードルが下がる」という表現が使用された。

NHKは
消費者庁が「ハードルが下がる」
という表現を使用したものをそのまま放送
したのか、
それともNHKが独自に表現として使用したのかは
わからないが、
どちらにしろ、かつてなら「ハードルが下がる」という表現はもちいず

「障壁が下がった」「容易さが増した」などの表現を
使用したのではないかなと思うが、

陸上競技の障害走に由来する「ハードルが下がる」というこの表現が

一般化して、多数の方々が違和感なく受け入れられる状況になり
NHくのニュースで表現されるようになったのだろうかと思った。


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「きれいって何?」と幼い女の子が母親に質問する光景を見て、哲学者ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論を思う

今日は、平成30年(2018年)11月14日 水曜日

3日前の11月11日18時30分過ぎ 
JR大阪駅から阪急梅田駅への連絡デッキを歩いていたら
4~5歳くらいの女の子が、若いお母さんに

「きれいって何?」

と質問していた。

すると、お母さんは

「きれいは、きれい!」

という回答をしているが聞こえて
ふいてしまったが、

どうして、その幼い女の子がそのような
質問したのかは、わからないが

「きれいって何?」

という大人になるほど、当たり前に
意味を厳格に定義していないが、
使用している表現について
その意味について
よくわかっていない子供が
問い直すように質問は
ある意味哲学的だなと思った。

「きれい」は辞書的には

美しい。特に見た目がきらびやか。よごれや余計なものがない

などの意味が掲載されているが、

幼い子供には、辞書を読んで「きれい」の意味を理解はしないだろう。

おそらく、親も含めた自分よりも年長の者たちが

例えば、春に咲く桜の花を見て

「きれい」と言ったり、

透き通った濁りのない水を見て

「きれい」と言ったり、

クリスマスシーズンの夜の街を彩るきらびやかな
イルミネーションを見て、

「きれい」と言ったりしているのを見て、

どのようなものを見て、何か心が動かされた時に

「きれい」という表現を使うことを習得していくのである。

春に咲く桜の花を見て、何か心を動かされると

「きれい」という表現を使うとみんなに理解してもらえるという

規則性を体感して習得していくのだ。

これは哲学者ヴィトゲンシュタインが、彼の後期哲学において
とたえた言語ゲーム論―複数の人たちの間で交わされる受け答えの言語的なふるまいは
何かの規則的なものによって成り立つゲームであるというという主旨の理論の
事例とも言える。

もし、ゴミが散乱しているゴミ屋敷を見て

「きれいですねえ」と言ったりしたら、

おまえの美的感覚はおかしいとか、
えっ、何かのギャグですかとか、皮肉ですかとか
個性的な感覚をしてますえとか

つまり、ごみ屋敷を見て「きれい」という表現を使用するのは
多数の方々の共通感覚に基づく、「きれい」という表現についての
言語ゲームの規則性から不適切だと指摘されているのだ。

「きれい」という表現は、どのように使うのが適切なのかは
人々が歴史を通じて培ってきた言語的ふるまいのルールを
日々の生活習慣の人々のふるまいから習得して、
春に桜の花を見た時に「きれいだね」と
言ったりするのだ。

「きれいって、なあに」と子供にきかれて

「きれいは、きれい!」

としか言えないのは致し方がない面がある。

「きれいという表現は、みんながきれいと思うようなときに
使うと決まっちゃっているから」としか言いようがないとも言える。


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