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言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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祖父の師匠である大横綱双葉山以来の86年ぶりの記録となる優勝をした新関脇・若隆景は昭和の大横綱・千代の富士のような大横綱になる可能性があるかもしれない

今日は、令和4年(2022年)3月28日  月曜日

昨日、大相撲春場所の千秋楽での
新関脇・若隆景関と元大関の幕内・高安関との
優勝決定戦は名勝負と思える素晴らしい相撲と
思った。


高安の圧力のある押しに、
若隆景は引いてしまい、土俵際に追い込まれ、
右膝がかくっと曲がって、土俵につきそうになるも
強い足腰で粘り腰で耐え、

若隆景・高安 あ 押し込まれて

右手で高安の回しをつかみ
若隆景・高安 い 回しをつかみ

高安の左手をつかみながら、
自身の身体は土俵際を右に移動して、
若隆景・高安 う 腕引っ張り 


上手出し投げをかけていく
圧力をかけて若隆景を押し出そうしていた
高安が勢い余って、土俵を割りそうになり
こらえようとするが、既に右足が宙に高く浮き上がり、
若隆景・高安 え 宙に浮く 


回転して、転んでしまい、若隆景の優勝が決定した。
若隆景・高安 お 転ぶ

若隆景 賜杯 Screenshot_2022-03-28-07-31-29-65

新関脇の優勝は
69連勝という史上最高連勝記録を残している
あの大横綱であった双葉山が
昭和11年(1936年)の夏場所で
新関脇で優勝して以来の86年ぶりの記録である。

若隆景 新関脇の優勝 Screenshot_2022-03-28-07-31-45-77

ちなみに、双葉山の新関脇の優勝は
あの69連勝の連勝記録中に達成した記録である。

また、双葉山は
若隆景の祖父で元小結の若葉山の師匠である。

その祖父の師匠である大横綱となる
双葉山以来の新関脇の優勝を果たした
若隆景関は大横綱になるのだろうか?

その可能性を秘めていると思わせる分析を
している方がいる。
それは、昭和最後の大横綱と称される
千代の富士を育てた元横綱の北の富士さんである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今の若隆景は一気に強くなったころの千代の富士を思い出す【北の富士コラム】
Yahoo 中日スポーツ 2022年3月25日 5時01分配信


私は若隆景が千代の富士にだんだんと似てきているようでならないのです。
小兵のわりに頭を下げることを嫌い、上手を引いて投げばかり打っていた
千代の富士が、左上手を浅く引き、投げを打たずに前に出る相撲を取りだ
して一気に強くなったころを思い出します。

(中略)

力士はある時、突然、大変身することは珍しくありません。若隆景も入幕した頃は
全く目立たない存在だったように思います。ただ、足腰がしぶとく、
細身だが力が強く、左からの攻めがうまい力士とみていました。
やはり、その時から千代の富士と重なるところがあったのでしょう。

私はそれまで栃ノ海関の方が、若隆景が目標にする力士だと思っていました。
今は、はっきりと言えます。若隆景は千代の富士を目指してもらいたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

力士のなかでは小兵でありながら強い相撲を取るという
若隆景関の姿に千代の富士を思い出したが、
千代の富士の師匠もそう思っているのだなあと思った。

祖父の師匠であった
大横綱の双葉山以来の86年ぶりの
新関脇の優勝を果たした若隆景関は
昭和最後の大横綱の千代の富士のような
大横綱になるかどうか注目したいと思った。


YOUTUBE 動画

優勝決定戦!大相撲 若隆景ー髙安<令和4年三月場所・千秋楽>SUMO
https://www.youtube.com/watch?v=BAoVMLLhaHk

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テーマ:大相撲 - ジャンル:スポーツ


金メダリスト同士の切磋琢磨・・・・北京冬季五輪で女子スピードスケート1000m金メダルを獲得した多様な運動能力をもつオールラウンダー髙木美帆選手は小平奈緒選手と高め合ってきた

今日は、令和4年(2022年) 2月19日 土曜日

一昨日(2月17日)、
北京冬季オリンピックで
女子スピードスケート1000mで
髙木美帆選手が、これまでの五輪記録を0.37秒縮める
1分13秒19の五輪新記録で
金メダルを獲得した。

髙木美帆選手はこの北京オリンピックで
500m、1500m、団体追い抜き(パシュート)で
銀メダルを計3個獲得しており、
また、前回の平昌冬季オリンピックで
団体追い抜き(パシュート)で金メダル、
1500mで銀メダル、
1000mで銅メダルを獲得しており、
7個のオリンピックのメダルを獲得となり、
夏冬を通じて、日本人女子選手として
最多の五輪メダル獲得数となった。
また髙木美帆選手にとっては、
個人種目としては悲願の金メダルとなった

髙木美帆選手は今回、
500m、1000m、1500m、
3000m、団体追い抜きの5種目に出場して、
短距離から長距離までこなす
というオールラウンダーで、
長野五輪スピードスケート女子500メートル銅メダルの
岡崎朋美さんは
陸上で100mの選手が10000mの長距離走に出場するような
ものと説明していたが、

日本の元祖オールラウンダーとも称される
現在は参議院議員の橋本聖子さんは
次のように語っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【五輪特別企画】高木美帆は種目絞れない、全てがメダル候補 橋本聖子氏5種目完逐“愛娘”分析
(日刊スポーツ 2022年2月18日 11時01分 配信)


元祖オールラウンダーで東京オリンピック(五輪)・パラリンピック組織委員会の
橋本聖子会長(57)が、高木美帆の5種目完遂をたたえた。
日本スケート連盟の会長時代から多種目への挑戦を勧めるなど、
親身に見守ってきた。自身は88年カルガリー、92年アルベールビル五輪で
女子500、1000、1500、3000、5000メートルの個人5種目全てに出場。
88年は全種目入賞、92年は1500メートルで冬季五輪の日本女子初メダルと
なる銅メダルを獲得した。

(中略)

「美帆が中学3年の時に五輪に出て、その時に1番好きな種目は1500メートルだと
言っていた。私は『1500メートルを極めるには500メートルのスピードと、
3000、5000メートルの持久力、両方を兼ね備えて1500メートルは確立するんだよ』
という話をした」。その言葉通りオールラウンダーとして競技を続け、
14年ソチ五輪こそ落選も、18年平昌五輪では3個、北京五輪では
4個ものメダルを獲得した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、高木美帆選手が最も好きな競技の1500mを強くするためには
短距離の500mのスピードと3000mの持久力が必要という
オリンピックの申し子・元祖オールラウンダーと称される
橋本聖子さんからのアドバイスを受け、

瞬発力を培う短距離、持久力を高める中長距離の両方を練習をハードにやって
いくことは困難さもあったようだが、
高木美帆選手オールラウンダーのスケーターとして極めてきた。

今回の金メダルを獲得した1000mでは、
高木金 スタート前

スタート直後から銀メダルを獲得した500mで培ったスプリント能力で、
飛ばしていき
高木金 スタート瞬発

200m通過は全体トップの17秒60、
高木金 200m通過

中盤以降は得意の1500mで高めてきた
ハイレベルのスピード持久力が活きて
高木金 中盤
途中の暫定1位の青いラインを越えようとしている

五輪新記録での金メダル獲得につながった。

高木金 ゴール直後

高木美帆選手はスケート以外にも様々
身体能力の高さがある。

小学6年時には陸上の女子800メートルで、
北海道・十勝地区の小学生記録を樹立

また、
彼女は7歳のころからサッカーをしていて、
中学はとかち帯広フットボールクラブに参加
15歳以下の女子日本代表候補に選出されるほどの
能力を持っていた。

サッカーは、持久力と瞬発力を高いレベルで両立が
求められるが、
オールラウンダーとして
短距離で求められる瞬発力と
中長距離で求められる持久力と
通じる部分があるように見える。

さらに、自分を表現できるスポーツとして、
楽しいからやりたいとヒップホップダンスをやっていて
高木美帆選手の多様な
運動能力の高さを感じさせるものがある。

ヒップホップダンスもサッカーも本気でやってきたが
迷わず能力的に最も高いスピードスケートに専念した。

そして、高木美帆選手を自身を向上させるにあたり
オリンピック日本女子スピードスケート史上初の金メダリストである
小平奈緒選手の存在は大きいように見える。

高木美帆選手は、小平選手に負けたくない
より速く滑りたいと思い自分自身を高めようとしてきた。
一方、小平奈緒選手は自身を高めるうえで
高木美帆選手を必要な存在と思い
互いに切磋琢磨して高め合ってきた。

小平奈緒選手との関係でこんなエピソードがあった。
今回の
女子団体追い抜き(パシュート)決勝で、美帆選手のお姉さんの菜那選手が
不運な転倒で2位になってしまった日の帰りのバスでのできごと

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
金メダルの高木美帆 小平からの言葉に感銘「1人感動した」転倒の団体から再起
デイリースポーツ 2022年2月17日 21時47分配信


高木自身、心身ともに疲労がピークの中、失意を見越した8歳上の大先輩から
「女子パシュートがこうやって進化してきたのは、4年前から
(日本を引っ張ってきた)私たち(高木姉妹)の存在がレベルを上げてきたんだと思うよ」と
言葉を掛けられ、励まされた。

 「『すごく誇れることだと思うよ』と(小平から)サラッと言っていただけて。
すごいな~と1人で感動した時間があった。その言葉は、自分たちが(転倒して)
最後まで滑りきれなかった思いを、前に向かせてくれる手助けになった」。
最後の1000メートルに向けて、そっと背中を押してくれた先輩に感謝していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

切磋琢磨してきた高木美帆選手は1000mで金メダル獲得が決まった後
小平奈緒選手と包容。
小平選手から「おめでとう」と声をかけられた。

高木金 小平包容 あ

高木金 小平包容 い

小平奈緒選手は高木美帆選手を
本当に輝いて見えた

と美帆選手の金メダルを称えた。

高木金 日の丸TV

高木金 日の丸ラン


YOUTUBE動画
NHK 金メダル 髙木美帆「やっとみんなにありがとうを言える」
スピードスケート女子1000m決勝 北京オリンピック
https://www.youtube.com/watch?v=QyVsTGzcACc

(2分34秒)

このブログ内の関連記事

元祖オールラウンダーについての記事
令和4年(2022年)2月12日の記事
平成4年(1992年)2月12日・・・アルベールビル冬季五輪で、日本人女性選手初のメダリスト誕生・・・オリンピックの申し子がスピードスケートで銅メダル獲得

令和4年(2022年) 2月 8日の記事
小林陵侑選手、ノーマルヒル金メダル・・・札幌五輪、長野五輪、そして、北京五輪につながるスキージャンプ界のつながり、小林選手金メダルジャンプの実況が札幌の笠谷選手の金メダルジャンプの時と似ている

令和4年(2022年) 2月13日の記事
王者の世代交代、人類史上最高難度のことを完遂して金メダルの平野歩夢選手は長野五輪の開催年に生まれ、彼の世代の横乗り系のボードカルチャースポーツから夏も冬も五輪メダリストが生まれている日本


「悲願の個人種目金メダル」という表現を用いたことから
悲願の語源について
悲願 ~ 「仏様の願い」が語源

テーマ:オリンピック - ジャンル:スポーツ


王者の世代交代、人類史上最高難度のことを完遂して金メダルの平野歩夢選手は長野五輪の開催年に生まれ、彼の世代の横乗り系のボードカルチャースポーツから夏も冬も五輪メダリストが生まれている日本

今日は、令和4年(2022年) 2月13日 日曜日

一昨日の2月11日、北京冬季オリンピックの
スノーボード男子ハーフパイプ決勝で
平野歩夢選手が、公式戦では彼しか成功させていない
超大技トリプルコーク1440を決めて
金メダルを獲得した。

(コークとはコークスクリューの略称で、トリプルコークとは
 縦に3回転する技。実際はこれに横回転も組み合わせて
 斜め軸での回転)

まず、平野歩夢選手は、半年前には
東京夏季オリンピックでスケートボードのパークに
出場していた。

平野歩夢選手は
スケートパークを運営する家庭で生まれたこともあり
スケートボードを幼いころからやっている。

足が板に固定されているスノーボードよりも
板に足が固定されないスケートボードの方が
難しく、不安定さが増すため
そのバランス感覚を鍛える必要があるという。

それが、スノーボードの着地で
バランスを崩しそうになっても
崩さずに安定して着地できる能力向上に
つながっているそうだ。

ただ、競技の質が異なるスケートボードから
夏の東京五輪から半年と時間的余裕が少ないなか
超大技トリプルコーク1440を完成させ

平野金 トリプルコーク1440
トリプルコーク1440 高さ5.5メートルのエア


実況の新夕(にった)悦男アナウンサーに

人類史上最高難度のルーチン

と言わせた
素晴らしい滑りで
冬の北京五輪、金メダル獲得につなげた。

平野金 決定直後
金メダル確定後

平野歩夢選手の金メダル確定後
これまでこの競技で、五輪金メダル3回、
前回の平昌五輪で、平野歩夢選手と熾烈な戦いを演じた
KING OF KINGSとも称され、
今回の五輪で引退を表明している
ショーン・ホワイト選手が、
平野歩夢選手と包容を交わした。

平野金 ショーンと包容 

平野金 ショーンと語る 

ショーン・ホワイト選手は試合後
次のように語っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「歩夢の時代が来た」ホワイトから新王者へ、受け継がれたバトン
毎日新聞 2022年2月11日 19:51配信



報道陣の取材に答えていた平野歩夢の元には、ホワイトの方から歩み寄り、抱擁を交わした。
ホワイトにとって、平野歩夢の金メダルは何よりもうれしかった。
「僕の後を追いかけてきた若いライダーたちが、僕を追い越すのを見ることは、
心の底で望んでいた」。そして、こう締めくくった。

 「歩夢の時代が来た。スケートボードとスノーボードをやるなんて……。
真のアスリートだと思う。彼がベストを尽くすことを祈っている」。
スーパースターのバトンを渡し、目を赤く腫らしながら笑顔で会場を去って行った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

平野歩夢が11歳の頃に、
「ショーンみたいに高く飛べるような選手になりたい」と

ショーン・ホワイト選手に憧れていた
平野歩夢選手がついにオリンピックの舞台で
王者ショーン・ホワイト選手の引退試合で
王者を超えて金メダル獲得をした。

試合後に、ショーン・ホワイト選手と
平野歩夢選手と包容を交わしたことについて


引退ホワイトから平野歩夢に継承のハグ 「歩夢の時代が来た」現役最後の大会4位で終える
スポニチアネックス 2022年 2月12日 5:30配信


のコメント欄に次のように書かれいた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2人の抱擁は新たなる王者への戴冠式のように見えた。

aoa*****

「ショーン・ホワイトはスノーボードの代名詞」という時代がずーっとあった。
スノボ選手の目標は皆この人だった。
しかし、その高みは あまりにも険しく誰も越えることは出来なかった。
彼自身も正統な後継者が現れるまでは、真っ白な舞台から去ることはできなかった。
そこへ平野歩夢選手がトリプルコーク1440でやってきた。
彼も孤高の頂(いただき)に立とうとしていた。
2人の抱擁は新たなる王者への戴冠式のように見えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「2人の抱擁は新たなる王者への戴冠式」という表現は
素敵な比喩表現だなあと思うが、
まさに、今回の北京冬季オリンピックの
スノーボード男子ハーフパイプ決勝は
世代交代を印象付ける試合ともなった。

平野金 日の丸 

スノーボードハーフパイプが
冬季五輪の公式競技として開始されたのが
平成10年(1998年)の長野オリンピックからである。

それから24年にして、ついに
長野オリンピックが開催された年の
11月29日に生まれた平野歩夢選手により
この競技で、日本初のオリンピック金メダルを
もたらすこととなったのである。

平野歩夢選手の金メダルに
彼と同世代の昨年の東京五輪金メダリスト2名から
祝福の言葉が寄せられている。

ひとり目は、
スケートボード男子ストリートの初代五輪金メダリストである
堀米雄斗選手である。
堀米雄斗選手は平成11年(1999年)1月7日生まれで
平野歩夢選手とは同級生で、
2人は小学生のころに
スケートボードの大会で度々顔を合わす関係で、
平野歩夢選手金メダル獲得直後に

堀米雄斗選手のツイッター

歩夢おめでとうと
堀米雄斗  歩夢おめでとう

10歳の時に、2人が同じスケートボードの大会に
出場した時の画像を載せていた。

この画像いついては

大喜利mosh-beat!さんのブログ
平野歩夢と堀米雄斗の関係は?ライバルだったジュニア時代を調査


によると
2009年に開催されたスケートボードの
「AJSA JAPAN PRO TOUR EREMENTCUP」のバーティカル選手権の
時のようで、この時、1位が堀米雄斗選手で2位が平野歩夢選手
だったようだ。

そして、もうひとり
平野歩夢選手金メダルに祝福の言葉を寄せた
彼と同世代の昨年の東京五輪金メダリストは
スケートボード女子パーク 五輪初代金メダリストである
四十住さくら選手である。
彼女は平成14年(2002年)3月15日生まれである。


四十住さくら選手は
平野歩夢選手金メダル獲得後、
彼女のインスタグラム

おそらく、東京五輪の時に撮影したと思われる
平野歩夢選手と四十住さくら選手の2名が
一緒に写っている画像をアップして、

四十住さくら、金メダル平野歩夢

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歩夢くん金メダル
おめでとうございます
世界初トリプルコーク1440やばかったです
二刀流で有言実行本当に凄いです
感動しました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と祝福の言葉を寄せていた。

スノーボード・スケートボードで
平野歩夢選手、堀米雄斗、四十住さくら選手と
同じ世代の3名のオリンピック金メダリストが
日本から生まれているが、

今回の平野歩夢選手のオリンピック金メダル獲得を受けて
元柔道選手で
バルセロナオリンピックでは女子柔道52kg級の銀メダリストで
現在は、スポーツ社会学者である溝口紀子さんが

平野歩夢スノーボード日本初の金メダル!史上最高難易度を成功させる完璧演技!悲願達成!【五輪スノーボード】
テレビ東京スポーツ 2022年2月11日 11:55配信
のニュースのコメント欄に
次のようにコメントを寄せている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平野選手の金 溝口紀子

溝口紀子
スポーツ社会学者、教育評論家


平野選手の金メダルは、スノーボードだけでなく、ボード文化が日本に根付いた証だと
思います。これまで、精神論、根性論のマッチョな体育界ではなく、
「遊び」というサブカルチャーから生まれた横乗り系のボードカルチャー。
ボード育ちの平野選手が夏季冬季の五輪に出場し、
スノーボードで圧巻の金メダルを獲得しました。
このことは日本のスポーツ界のあり方を変えることになるでしょう。
とりわけ、ボードに嗜む若者に勇気を与える事になったと思います。
軟派なスポーツと思われていたボードスポーツに対する考え方が
変わるきっかけになるでしょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「遊び」というサブカルチャーから生まれた横乗り系のボードカルチャーから
生まれたスポーツ分野で、日本の選手が夏も冬もオリンピックで
金メダルを獲得していくこの状況が、
これまで、精神論、根性論のマッチョな体育界ではなくて
日本のスポーツ界のあり方を変えるというコメントであるが、
ふと、昨年夏の東京五輪のスケートボード女子パークで
逆転金メダルを狙って
大技に果敢に挑戦するも転倒してしまい
泣きながら上がってきた岡本碧優(みすぐ)選手を
各国の代表選手たちが駆け寄り
彼女を抱きしめて、肩車で彼女を持ち上げ
リスクを取って果敢に挑戦した
岡本碧優さんを称え、みんなで楽しむというカルチャーを
感じたことを思い出す。

先輩や後輩、指導者と教え子という「縦」の関係だけでなく
自由と創造性と挑戦を尊重する「横」の関係に広がる文化
が、スポーツ界だけでなく、日本社会に広がれば
またこれまでとは違う日本の社会のありようになって
くるかもしれない。

ちなみに、スノーボードハーフパイプが
五輪の公式競技に初めてなった五輪が
長野五輪と説明したが、
平野歩夢選手が金メダルを獲得した
令和4年(2022年) 2月11日のちょうど24年前の
平成10年(1998年)2月11日は、
長野冬季五輪にて、女子モーグル里谷多英選手が
日本人女性初の冬季五輪金メダリストになった日である。

平野金 メダル授与後インタビュー


NHK | 【3回ノーカット】平野歩夢 高難度の技 次々に決め逆転の金 | スノーボード男子ハーフパイプ | 北京オリンピック
https://www.youtube.com/watch?v=w44lwGNvkNE


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テーマ:オリンピック - ジャンル:スポーツ


小林陵侑選手、ノーマルヒル金メダル・・・札幌五輪、長野五輪、そして、北京五輪につながるスキージャンプ界のつながり、小林選手金メダルジャンプの実況が札幌の笠谷選手の金メダルジャンプの時と似ている

今日は、令和4年(2022年) 2月 8日  火曜日

一昨日(2月6日)、北京冬季オリンピックの
スキージャンプ男子 ノーマルヒルで
小林陵侑選手が金メダルを取った。

日本勢の日の丸飛行隊で、
金メダルを獲得するのは
平成10年(1998年)長野冬季五輪で
スキー・ジャンプラージヒル個人 船木和喜さん、
そして、団体の金メダル以来である。

また、ノーマルヒルで金メダルを獲得するのは
ちょうど50年前の昭和47年=1972年の2月6日の
札幌冬季オリンピックで、日本が表彰台を独占した時の
笠谷幸生さん以来である。

小林陵侑選手が1回目のジャンプで、
上位10人はトップのうち
小林陵侑選手のみ不利な追い風で
9人は飛躍に有利な向かい風であっても
104.5メートルを飛びトップに立つ。

試合会場の国家スキージャンプセンターで、
小林選手の師匠である葛西紀明さんが
小林陵侑選手の1回目のジャンプを見て、

小林 陵侑 金メダル NH 葛西さん トライ無
トライアルを飛ばなかったっていうのが
効いてますね

とコメントしている。
そして、1回目のジャンプを終わった
小林陵侑選手が葛西さんに

小林 陵侑 金メダル NH 葛西さん ノリ作戦 

ノリ作戦

と言っていた。

それについて、ある記事がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
重圧意に介さず完璧なジャンプ…小林陵侑「僕が魔物だったかもしれない」
読売新聞 2022年2月7日 5時02分


この日は試技を飛ばなかった。「ノリさんがいつもそういう戦法なので」。
ノリさんとは、葛西紀明(土屋ホーム)のこと。師匠でもある49歳の
「レジェンド」は、疲労を考慮して試技を飛ばないことがある。
小林陵は「疲れるからいいかな。いいイメージがあった時点で飛ぶの
はやめた」と言った。前日の予選を終えた時点で、自信があった。

 会場を訪れていた葛西も状態を見抜いていた。「試技を飛ばないのは、
よほど調子がいいと思った。絶対(メダルが)取れると確信した」。
メダル候補の外国勢が風に苦しんで距離を伸ばせない中、
好ジャンプをそろえた小林陵を、
「試技を飛ばなかった分の集中力が出ていた」とたたえた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

葛西紀明さんは、試技をしないことがあり、
それを紀明さんの名前から小林陵侑選手は
そのことを

ノリ作戦と

言っていたのだ。

そして、2回目のジャンプで
実況の日本テレビの佐藤義朗アナが
(放送はTBSだが、実況は日本テレビアナが担当)

24年ぶり、日本ジャンプ

小林 陵侑 金メダル NH スタート

小林 陵侑 金メダル NH 助走

小林 金メダルへのジャンプ

小林 陵侑 金メダル NH 踏み切り

小林 陵侑 金メダル NH 着地 

飛んだ!

小林 陵侑 金メダル NH ガッツポーズ 

決まった 見事なジャンプを見せました

と、ちょうど50年前の同じ日に
札幌冬季オリンピックでの
笠谷幸生さんの2回目のジャンプの時に

実況のNHKの北出清五郎アナウンサーが

 さぁ笠谷、金メダルへのジャンプ!

 飛んだ決まった!!見事なジャンプ!!

と言っているのとほぼ同じようなことを言っていた。


小林陵侑選手の金メダルが決まった直後

小林 陵侑 金メダル NH 確定 

それを日の丸を揺らして喜ぶ
北京冬季オリンピックの日本選手団の総監督を務めている
原田雅彦さんの姿が映っていたが、

小林 陵侑 金メダル NH 原田さん

その原田さんは24年前の
長野冬季オリンピックのスキージャンプ団体金メダルの
メンバーである。

ちなみに
原田雅彦さんが雪印乳業入社した時の
配属先の上司の課長は
札幌冬季五輪で
金メダルの笠谷幸生さんと
一緒に表彰台に立った銅メダリストである
青地清二さんである。

小林 陵侑 金メダル NH 肩車

葛西紀明さんは
国家スキージャンプセンターで
愛弟子の金メダルに歓喜の表現を
身体で表していた。

小林 陵侑 金メダル NH 葛西さん 歓喜


葛西紀明さんは平昌冬季五輪に
小林陵侑選手と一緒に出場して、
試合が終わった後

4年後はメダル取れ小林陵侑!!!

と言っていたが、まさに金メダル獲得を実現したのである。

昨日、テレビの番組で
小林陵侑選手の金メダル獲得について
長野冬季オリンピックの
ジャンプラージヒル個人と
スキージャンプ団体で、
金メダルを獲得した船木和喜さんが解説をしていて

これまでは前傾の角度が小さく浮力を得にくかったが、
今回は角度が大きく浮力を得やすいこと

ジャンプ競技はO脚で胴長な体型が有利だが、
小林陵侑選手はその体形で優位があることを
話していた。

また、ジャンプで飛ぶときに口(くち)を開けている
ことに質問があったが、

それに対して、船木和喜さんは
口(くち)を開けることで、
首の筋肉に力が入り、頭が固定され、
飛び出しからジャンプまで頭がブレないようにする
という解説をしていた。

いやあ、スキージャンプは奥深いなあと思った。

それにしても、
長野オリンピック以来の24年ぶりの
日の丸飛行隊の
小林陵侑選手の金メダルの解説を
長野オリンピックのジャンプの
金メダリストの船木和喜さんが行い、
その舟木さんと長野五輪の団体の
メンバーであった原田雅彦さんが
北京冬季オリンピックの日本選手団の
総監督として、応援して、
小林陵侑選手の金メダルの
瞬間を現場で見守り、
その原田さんはリレハンメルオリンピックの
団体銀メダルの時は、
小林陵侑選手の師匠である
葛西紀明さんと団体メンバーであった。

また、原田雅彦さんが社会人として就職した時の
直属の上司が、札幌冬季五輪で
金メダルの笠谷幸生さんと
一緒に表彰台に立った銅メダリストである
青地清二さんであったりと
スキージャンプ界のつながりの深さを感じる。


YOUTUBE 動画
NHK小林 陵侑が金メダル|ジャンプ男子ノーマルヒル |北京オリンピック
https://www.youtube.com/watch?v=giGLI7yRXnw



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令和4年(2022年)2月6日の記事
50年前の今日(昭和47年=1972年)2月6日、札幌冬季五輪スキージャンプで、金銀銅と日本勢が表彰台独占の偉業を達成・・・日の丸飛行隊のはじまり

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野球は試合終了まで何が起こるかわからんねえ・・・・阪神タイガース、9回裏2アウトランナーなしから、逆転サヨナラ勝利

今日は、2015年(平成27年)5月9日 土曜日

3日前の16時50分ごろ、
外出先から西宮市今津の自宅に戻り、
テレビを点けてチャンネルをいろいろ選んでいたら、
プロ野球中継で
阪神タイガース対中日ドラゴンズが放送されていて、

その時の場面の様子が、
9回裏2アウトで
2対1と阪神が1点リードされている状況であったが、
満塁で、バッターボックスに関本が立っていて、
カウントが2ボール、2ストライクというカウントに
なっていて、このままドラゴンズが逃げ切るか、
阪神がサヨナラ勝ちするかという見せ場になっていた。

このゲーム展開として、
中日が8回表まで2対0とリードしていたが、
8回裏にそれまで打撃不振であった
新井良太が代打で出て、ホームランを打ち
2対1となった。

そして9回裏、阪神の攻撃も2アウトまで取られ、
ランナーなしの状態で、
中日があと1つアウトを取れば、中日が勝利する
状況であったが、
阪神のゴメスがヒットで出塁した。

その後、連続ファーボールなどで、
2アウト満塁の状況になり、関本の打席になったのであった。

そして、私がちょうどテレビをつけたら
その関本の打席のカウントが
2ボール、2ストライクという場面になっていた。

そして、次の投球でボールとなり
9回裏2アウト、3ボール、2ストライクで満塁という
三振やゴロやフライでアウトとなり中日勝利のゲームセットとなるか
それともサヨナラ逆転ヒットで阪神勝利のゲームセットとなるか、
それとも押し出しのファーボールで同点となるかという
究極のフルカウントという状況になった。

うわ!たまたま自宅の戻ってテレビのチャンネルつけたばかりなのに
いきなりすごいクライマックスの状況に
テレビに釘付けになった。

そして、テレビの実況アナが、
「次の投球が運命の1球になります」と言って、盛り上げる。

甲子園球場の阪神フアンの応援も盛り上がる。

中日の又吉が投げたが、それはボール球で
関本が見送ると、

実況が「うぉおおおおお、ファーボール」と興奮ぎみに伝え
押し出しで2対2の同点となった。

そして、2アウト満塁で1打サヨナラという場面で、
前の打席でホームランを放った新井良太が打席に立つ。

いやいやこれもこのような状況で
打撃不振であったが前の打席で代打で
出たら、ホームランを放っていた新井良太が打席に立つという
これもまた見せ場をさらに高めるドラマ性をおびていた。

その新井良太であったがノーボール、2ストライクと追い込まれたが
その後、2球はファールで粘る。

そして、次の打球で実況のアナが

「今日は新井良太デーなんでしょうか」と言って
場面を盛り上げる。

そして、中日の又吉が投げた外目の打球を
一生懸命に身体を伸ばして、センターの横に打ち返し
サヨナラヒットとなった。

ヒーローインタビューは新井良太となり
まさに新井良太デーになった。

それにしても、
9回2アウトでランナーなしで、
もう阪神は負けるかなと思える試合であったが、
ゴメスがヒットで出塁してから
あれよあれよという逆転劇になった。

野球はゲームセットまで何が起こるかわからないし、
2アウトランナーなしになっても
最後の最後まであきらめずに勝利に向かって
取り組むことの大切さを思うゲームであった。

そのようなゲームが
私の自宅の最寄り駅から10分から15分ほどで行ける
甲子園球場で行われていた。

さて、阪神タイガースとして
9回裏2アウトランナーなしからの逆転勝利のゲームとして
過去には、平成21年(2009年)4月30日に
甲子園球場で、対横浜戦で、
今岡、平野、関本、鳥谷、金本の5連打で逆転勝利したことがある。

この時も、今回と同じく関本が関わっている。

2015/05/06 阪神vs中日 新井良太サヨナラ
https://www.youtube.com/watch?v=3aErbu73MD8

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