さようなら春よ、私たちは永遠に向かって旅立つのです・・・・散り行く桜への岡倉天心の表現が秀逸である
今日は、2015年(平成27年)4月 5日 日曜日
西宮市今津にある自宅近くで 咲き誇る満開のソメイヨシノの桜も 散り始めた。
 津門川沿いの桜
 名神高速沿い西宮インター近く
さて、この散り行く桜についての表現で、 秀逸だと思うのは、岡倉天心が「茶の本」で 書き表した表現である。
ただ、それを日本語訳のうちこれは と思うのは、大久保喬樹(おおくぼ・たかき)氏による ものである。
さて、そもそも岡倉天心の「茶の本」は 明治39年(1906年)に、 アメリカのニューヨークで英語で出版されたものである。
それで日本語訳となると少しヒトによって表現が 違ってくる。
さて、大久保喬樹(おおくぼ・たかき)氏の翻訳による 岡倉天心が散り行く桜について書いた表現を引用する。
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花の中には死を栄光とするものもある。 日本の桜のように、すすんで風に身を委ねるのだ。
吉野や嵐山の桜吹雪を経験したことのある人なら誰でもわかるはずだ。
つかの間、花たちは宝石の雲のように渦巻き、 水晶のような流れの上を舞うかと思うと、 次の瞬間には、 笑いさざめく水の流れにのって消えていく、 あたかもこう語りかけながら、
「さようなら春よ、
私たちは永遠に向かって旅立つのです。」
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いやあ、この表現に初めてふれた時は、
うわっ!!!すご~~~!!
と、散り行く桜についてこのように美しい表現ができるのかと
さて、もともとは岡倉天心が英文で書いたものだ。 その部分の原文の英文をその訳語にあわせてみる
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Some flowers glory in death--certainly the Japanese cherry blossoms do, as they freely surrender themselves to the winds. 花の中には死を栄光とするものもある。日本の桜のように、すすんで風に身を委ねるのだ。
Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Yoshino or Arashiyama must have realized this. 吉野や嵐山の桜吹雪を経験したことのある人なら誰でもわかるはずだ。
For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams; つかの間、花たちは宝石の雲のように渦巻き、水晶のような流れの上を舞うかと思うと、
then, as they sail away on the laughing waters, 次の瞬間には、笑いさざめく水の流れにのって消えていく、
they seem to say: "Farewell, O Spring! We are on to eternity." あたかもこう語りかけながら、「さようなら春よ、私たちは永遠に向かって旅立つのです。」
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それにしても、死を栄光として風に身を委ねる散り行く桜の花の 美しさを英語で岡倉天心は伝えようとしたのだろうなあ。
この英文を読んだ英語圏の方々はどう感じるのだろうか?
まあ、日本人は短い命のはかなきものをとても愛でたりする。
短い花の時期を堪能するため桜花の木の下で 日本人達は愛でてきた。
そのはかなさを愛でる、そのはかなさを愛でる背景にあるという 日本人に伝わる無常観が、
この英文を見た外国人に伝わることはできているのだろうか、 そうであってほしいなあと思う。
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